研究者同士の会話では、「最近、論文書いてる?」「論文、最近出てないんだよなぁ。」「彼は、論文がないからね。」「論文、出さなきゃ。」などと、論文に関係した言葉が頻繁に口にされます。研究者にとって論文とは、研究者として生きるために必要な「存在意義」みたいなものです。論文を書いていない=研究者として認められない という厳しい見方をされることは珍しくありません。いい論文を出せば、職を得たり、昇進したり、研究費を獲得したりと様々な場面で、良い影響があります。いい論文が出せるかどうかで、研究者としてのキャリアが開けるかどうかが決まるといっても過言ではないでしょう。自分のポストや研究費の獲得に直結するのですから、研究者にとっては論文が出せるかどうか、もっといえば、ファーストオーサーやコレスポんディングオーサーで論文を出せるかどうかは切実な問題になります。キャリアのためには、2番目や3番目に単に名前が挟み込まれていてもあまり意味がないのです。
そうはいっても、論文は数が問われることもあるので、共著者になるべきなのに共著者にしてもらえなかった場合に、もめることはあります。その論文への貢献度がどれくらいかは人によって感じ方が異なるため、この人は謝辞で十分かと思っていても、その人は謝辞じゃなくて共著者じゃないとおかしいと考えるなどの行き違いはありがちなことです。
よく、研究費を獲得しただけの人は著者に加えてはならない、それはギフトオーサーシップだと教科書的には言われますが、これは全く現実的ではありません。研究費を獲得したのであればその人は当然その研究に関わったはずで、著者にならないということはあり得ないのです。その研究費の報告書に、研究費を貰った人の名前がない論文が成果として書かれていたら、それはおかしなことです。ボスが研究費を獲得し、中ボスが研究グループを率いて、コレスポンディングオーサーとして研究を統括していた場合に、ボスがラストオーサーになることはごく普通に見られます。中ボスの人事権はボスが握っているのですから、中ボスがラストになるというようなことも、そうそうありません。