膠芽腫(グリオブラストーマ):その病態、治療の現在と未来

膠芽腫(こうがしゅ、グリオブラストーマ)は、脳に発生する悪性度の高い原発性脳腫瘍です。成人において最も頻度が高く、治療が非常に困難な疾患として知られています。本稿では、膠芽腫の罹患状況、発がんのメカニズム、現在の標準的な治療戦略、そして期待される将来の治療法について、最新の知見を交えて解説します。

罹患と発がんの機序

罹患状況

膠芽腫の罹患率は、人口10万人あたり年間2〜3人程度と比較的稀な疾患ですが、原発性悪性脳腫瘍の中では約10%を占め、最も頻度の高いタイプです。日本国内では、年間約2,000人が新たに診断されていると推定されています。発症は50歳以降の高齢者に多い傾向がありますが、小児から若年成人まで幅広い年齢層でみられます。男女比では、男性にやや多く発症することが報告されています。

発がんの機序

膠芽腫の発生メカニズムは完全には解明されていませんが、複数の遺伝子異常や細胞内のシグナル伝達経路の破綻が複雑に関与していると考えられています。主要な要因は以下の通りです。

  • 遺伝子変異: 特定の遺伝子の変異が、がんの発生と進行に中心的な役割を果たします。特に、IDH(イソクエン酸デヒドロゲナーゼ)遺伝子の変異の有無は、膠芽腫の分類や予後を左右する重要な指標です。IDH野生型膠芽腫は、変異型に比べて悪性度が高く、予後が不良であることが知られています。その他にも、EGFR(上皮成長因子受容体)遺伝子の増幅、TERTプロモーター変異、CDKN2A/B遺伝子の欠失など、多様な遺伝子異常が関与しています。
  • 腫瘍微小環境: 腫瘍細胞だけでなく、その周囲を取り巻く血管、免疫細胞、細胞外マトリックスなどが形成する「腫瘍微小環境」も、膠芽腫の増殖や浸潤、治療抵抗性に深く関わっています。腫瘍は、この微小環境を巧みに利用し、免疫系の攻撃から逃れたり、自身の増殖に適した環境を作り出したりします。
  • がん幹細胞: 腫瘍組織の中には、自己複製能力と多分化能を持つ「がん幹細胞」が存在すると考えられています。このがん幹細胞が、腫瘍の再発や治療抵抗性の根源であるとされ、治療の重要な標的として研究が進められています。
  • 環境要因: 高線量の放射線被曝は、膠芽腫の数少ない確立されたリスク因子です。しかし、ほとんどの症例では、明確な原因を特定することはできません。

治療戦略の現状

膠芽腫の治療は、複数の治療法を組み合わせた集学的治療が基本となります。しかし、脳内に染み込むように広がる(浸潤性)性質のため、完全な治癒は極めて困難です。

現在の標準治療

現在の標準治療は、以下の3つを組み合わせたものです。

  1. 手術(可及的最大限の摘出): まず、可能な限り安全に腫瘍を摘出する手術が行われます。手術の目的は、腫瘍の量を減らして症状を緩和し、後続の治療効果を高めることです。手術中にMRIを撮影する術中MRIや、特殊な薬剤を用いて腫瘍を光らせる術中蛍光診断などの技術により、摘出率の向上が図られています。
  2. 放射線治療: 手術後に残存した腫瘍細胞を叩くため、放射線治療が行われます。通常、6週間にわたって分割して照射します。
  3. 化学療法(テモゾロミド): 放射線治療と並行して、テモゾロミド(製品名:テモダール)という経口の抗がん剤を服用します。放射線治療終了後も、維持療法としてテモゾロミドの服用を継続します。

その他の治療法

  • 交流電場腫瘍治療(オプチューン®): 頭皮に電極パッドを貼り、微弱な交流電場を発生させることで、がん細胞の分裂を阻害する治療法です。初発膠芽腫の患者さんに対する維持療法として、標準治療との併用で生存期間の延長効果が示されています。
  • ベバシズマブ(製品名:アバスチン®): 再発時の治療選択肢の一つとして、腫瘍の血管新生を阻害する分子標的薬であるベバシズマブが使用されることがあります。

これらの治療法を駆使しても、膠芽腫の予後は依然として厳しく、5年生存率は10%未満とされています。

将来の展望

この厳しい状況を打破するため、世界中で精力的な研究開発が進められており、新たな治療法への期待が高まっています。

  1. 免疫療法

患者自身の免疫力を利用してがんを攻撃する治療法です。

  • CAR-T細胞療法: 患者の免疫細胞(T細胞)に、がん細胞を特異的に認識する受容体(CAR)を遺伝子導入して体内に戻し、がんを攻撃させる治療法です。臨床試験で有望な結果が報告され始めています。
  • がんワクチン: 摘出した自身の腫瘍組織などを用いて作成したワクチンを投与し、体内でがんに対する免疫応答を誘導する治療法です。
  • 免疫チェックポイント阻害薬: 免疫細胞の働きにブレーキをかける分子(免疫チェックポイント)の作用を阻害し、免疫系ががんを攻撃しやすくする薬剤です。他のがん種で大きな成果を上げていますが、膠芽腫に対する単独での効果は限定的であり、併用療法の研究が進められています。
  1. 分子標的薬・新規薬剤

がん細胞の増殖や生存に不可欠な特定の分子を狙い撃ちする薬剤です。

  • 新規分子標的薬: IDH変異やEGFR変異など、膠芽腫に特徴的な遺伝子異常を標的とした薬剤の開発が進んでいます。
  • 放射性薬剤: 放射性同位元素を標識した薬剤を投与し、がん細胞に集積させて内部から放射線を照射する治療法です。日本で開発された64Cu-ATSMなどが、再発・難治性の膠芽腫に対して有望な結果を示し、臨床試験が進められています。
  1. オンコリティックウイルス療法

がん細胞でのみ増殖してがん細胞を破壊するように遺伝子改変したウイルス(オンコリティックウイルス)を用いる治療法です。ウイルスががん細胞を破壊するだけでなく、免疫応答を惹起する効果も期待されています。

  1. 遺伝子治療・RNA療法

mRNA技術などを応用し、がんの増殖に関わる遺伝子の働きを制御したり、がんに対する免疫応答を強めたりするアプローチも研究されています。

これらの新しい治療法は、単独で用いるだけでなく、既存の治療法と組み合わせることで、より高い治療効果を目指す研究が活発に行われています。膠芽腫の治療は未だ多くの課題を抱えていますが、分子生物学的な理解の深化と革新的な治療法の開発により、将来的には個々の患者さんの腫瘍の特性に合わせた「個別化医療」が実現し、予後が大きく改善されることが期待されています。

(Google Gemini 20250614)