高血圧における血管肥厚の細胞および細胞外構造:内膜・中膜リモデリングの機序的解析

高血圧における血管肥厚の細胞および細胞外構造:内膜・中膜リモデリングの機序的解析 

(by Gemini)

序論

高血圧性血管リモデリングの概観

高血圧症は、心血管疾患、脳血管疾患、腎疾患の主要な危険因子であり、その病態生理学の中心には「血管リモデリング」として知られる血管構造の適応的および不適応的変化が存在する 1。血管リモデリングとは、高血圧のような持続的な病理学的刺激に応答して生じる血管構造の再構築であり、単に高い血圧による物理的な受動的変化ではなく、多様な細胞種と細胞外マトリックス(Extracellular Matrix; ECM)間の動的な相互作用によって駆動される、能動的かつ複雑な生物学的プロセスである 3。このプロセスは、全身血管抵抗の増大、動脈硬化度の亢進、そして最終的には高血圧性臓器障害の主要な原因となり、心血管系の罹患率および死亡率に深く関与している 1

本稿の目的

本稿の目的は、慢性的な高血圧状態において血管の内膜および中膜に生じる病理学的肥厚の直接的な原因となる細胞成分および細胞外マトリックス成分を、機序的に解明し、包括的に解説することにある。そのために、まず健康な動脈壁における恒常性維持の基本構造を概説する。次いで、高血圧という病態下で各層に生じる病理学的変容を詳述し、この不適応的リモデリングを遂行する主要な分子エフェクターを特定する。最終的に、これらの細胞・分子レベルの変化を統御するマスター制御シグナル伝達経路を解き明かし、高血圧性血管肥厚の全体像を提示する。

第1章 健康な動脈壁:恒常性維持の設計図

1.1. 血管内膜:動的なインターフェースとしての血管内皮

血管内膜は動脈壁の最内層を構成し、血流に直接接している。その構造は、単層の血管内皮細胞(Endothelial Cells; ECs)と、それを支える基底膜および少量の結合組織からなる 8。この内皮細胞層は、単なる物理的な障壁ではなく、極めて動的な機能を持つ「臓器」として機能する。健康な状態において、内皮細胞は血管の恒常性維持に中心的な役割を果たす。具体的には、一酸化窒素(Nitric Oxide; NO)やプロスタサイクリン(PGI2​)といった血管拡張物質を産生・放出し、血管の緊張度を適切に調節する 11。同時に、血小板の凝集や白血球の接着を抑制することで抗血栓性を維持し、血液が血管内で凝固することなく円滑に流れることを保証する 12。さらに、血管透過性を厳密に制御し、血中の物質が不必要に血管壁内へ侵入するのを防いでいる 11

血管の恒常性維持は、単なる病理学的プロセスの不在を意味するのではなく、血管内皮細胞による血管拡張物質の持続的な産生や抗血栓性の維持といった、エネルギーを要する能動的な生物学的活動によって支えられている。したがって、高血圧性血管障害の真の起点は、この精巧な能動的維持機構の破綻と捉えることができる。この視点は、高血圧の病態を単純な「損傷モデル」から、より洗練された「能動的恒常性維持の喪失モデル」へと転換させ、その後の病理学的カスケードを理解する上で極めて重要である。

1.2. 血管中膜:収縮細胞と弾性マトリックスの交響曲

血管中膜は動脈壁の中で最も厚い層であり、その主成分はらせん状に配列した血管平滑筋細胞(Vascular Smooth Muscle Cells; VSMCs)と、それらの間に存在する高度に組織化された細胞外マトリックスである 8。このマトリックスは、主に弾性線維(エラスチン)とコラーゲン線維から構成される 10

健康な状態において、中膜のVSMCは「収縮型(contractile phenotype)」と呼ばれる分化した状態にある。この表現型の細胞は、平滑筋$\alpha$-アクチン(α-SMA)や平滑筋ミオシン重鎖(SM-MHC)などの収縮関連タンパク質を豊富に発現しており、その主な機能は血管径を能動的に調節し、血圧や血流を制御することである 16。一方、エラスチンに富む弾性線維は、血管にコンプライアンス(伸展性)としなやかさを付与する。心臓の拍動によって生じる圧脈動に応じて血管が拡張・収縮する能力は、このエラスチンによって担保されており、血圧の変動を緩衝する上で不可欠な機能である 14

表1. 健康動脈と高血圧動脈における内膜・中膜の比較

状態 主要な細胞・構造 機能・特徴
内膜 健康 完全な内皮細胞単層、少量の結合組織 低透過性、抗炎症・抗血栓性表面、下層細胞の静止状態維持
高血圧 内皮機能不全、新生内膜形成(遊走・増殖した合成型VSMC) 高透過性、炎症誘発・血栓形成促進性表面、内腔狭窄
中膜 健康 規則正しく配列した収縮型VSMC、エラスチン優位のECM 高いコンプライアンス、弾性エネルギー貯蔵、血管径の能動的調節
高血圧 肥大・増殖した合成型VSMC、コラーゲン優位のECM(線維化) 低コンプライアンス(硬化)、弾性ラメリの断片化、壁厚の増大

第2章 病態の始動:内皮機能不全という起爆装置

2.1. 破綻したバリア:透過性亢進と炎症誘発性活性化

高血圧は、その持続的な機械的ストレス(伸展)と液性因子(アンジオテンシンIIなど)を介して、血管内皮細胞に機能不全を引き起こす 1。この内皮機能不全は、血管リモデリングを開始させる最も初期の重要なステップの一つと広く考えられている 18

機能不全の最初の徴候は、内皮バリア機能の破綻、すなわち血管透過性の亢進である。正常な内皮細胞間の密な結合が緩むことで、血漿中の溶質、特に低密度リポタンパク質(LDL)コレステロールや炎症性サイトカインなどが、血流中から内皮下の空間へと容易に侵入できるようになる 11。この炎症誘発性物質の壁内への浸潤が、後続する一連の病理学的反応の引き金となる 12

2.2. 血管作動性・炎症性シグナルの変容

高血圧状態では、内皮細胞が分泌するシグナル分子のバランスが劇的に変化する。健康な血管を維持するために重要なNOやPGI2​のような保護的な血管拡張物質の産生が減少し、代わりにエンドセリン-1のような血管収縮物質や炎症誘発性因子の分泌が増加する 11

さらに、内皮細胞の表面特性も変化する。本来は抗血栓性・抗接着性であった表面が、血栓形成促進性・炎症誘発性へと変貌し、細胞接着分子(例:VCAM-1)の発現を増強させる。これにより、血中を循環するマクロファージやリンパ球といった白血球が血管壁に容易に接着・浸潤し、血管壁内での炎症反応が惹起される 3

この一連の変化は、内皮細胞が単に物理的に「損傷」した結果ではないことを示唆している。むしろ、内皮細胞は高血圧という刺激に応答し、その機能を能動的に「再プログラミング」していると解釈すべきである。すなわち、血管の健康を守る「守護者」から、病態を積極的に推進する「扇動者」へと役割を転換するのである。この能動的な役割転換こそが、血管リモデリングが持続的かつ進行性のプロセスとなる理由を説明する。内皮細胞は、高血圧という全身性の刺激を、血管壁における特異的かつ病的な細胞プログラムへと変換する中心的なシグナルハブとして機能しているのである。

第3章 リモデリングされた血管中膜:肥厚と線維化の舞台

3.1. 血管平滑筋細胞(VSMC)の表現型スイッチ:病態変化の中核

高血圧に伴う機械的伸展や、アンジオテンシンII(Ang II)、各種増殖因子といった液性因子の刺激に応答して、中膜に存在するVSMCは、その細胞特性を根本的に変化させる。静止期の「収縮型」から、活発な「合成型(synthetic phenotype)」あるいは「増殖型(proliferative phenotype)」へと、劇的な表現型スイッチ(phenotypic switch)を遂げるのである 17

この変容は、細胞内の遺伝子発現プログラムの再構築を伴う。収縮型に特徴的な$\alpha$-SMAやカルポニンといった収縮関連タンパク質の発現は低下し、代わりに細胞増殖、遊走、そして細胞外マトリックスの合成に関与するタンパク質の発現が亢進する 17。この表現型スイッチこそが、VSMCが中膜肥厚の主たる実行細胞となるための、根本的な前提条件である 20

中膜および後に詳述する内膜の肥厚に見られるVSMCの肥大、増殖、遊走、そして細胞外マトリックス産生といった多様な病理学的挙動は、すべてこの表現型スイッチという根本的な細胞状態の変化がなければ起こり得ない。収縮型細胞は終末分化し、力学的機能に特化しているのに対し、合成型細胞は脱分化し、増殖、移動、マトリックス産生といった組織再構築に必要な分子機構を備えている。したがって、このスイッチは数ある病理学的ステップの一つではなく、血管リモデリングの全貌を解き放つ、中心的かつ不可欠な「許可」イベントとして理解されなければならない。

3.2. 中膜の肥大:VSMCの細胞体積増大

血管リモデリング、特に大動脈や頸動脈のような太い弾性血管において顕著な特徴の一つが、VSMCの肥大(hypertrophy)である 14。これは細胞分裂を伴わずに個々の細胞のサイズが増大する現象を指す 22

この細胞肥大は、高血圧による壁応力(wall stress)の増大や、Ang IIのような液性因子に対する直接的な応答である。これらの刺激は、VSMC内のタンパク質合成経路を活性化させ、細胞質および細胞小器官の体積を増加させる 22。個々の細胞が大きくなることで、血管中膜全体の厚みが増し、これが血管壁の肥厚に直接的に寄与する 14

3.3. 中膜の増殖:VSMC集団の数的拡大

肥大に加えて、合成型へ移行したVSMCは細胞分裂能力を回復し、増殖(proliferation)する。これにより、中膜内のVSMCの総数が増加し、壁の肥厚にさらに寄与する 19

この増殖プロセスは、血小板由来増殖因子(Platelet-Derived Growth Factor; PDGF)のような強力なマイトジェン(細胞分裂促進因子)によって駆動される。PDGFは、機能不全に陥った内皮細胞、活性化した血小板、さらには表現型スイッチを起こしたVSMC自身からも放出され、自己分泌(autocrine)あるいは傍分泌(paracrine)的に作用し、VSMCの細胞周期を進行させる 26

3.4. 中膜の線維化:病的な細胞外マトリックスの蓄積

合成型VSMCは、細胞外マトリックス成分の主要な産生源となり、中膜の組成を劇的に変化させる 20。特に、I型およびIII型の線維性コラーゲンの産生と沈着が著しく亢進し、これが「線維化(fibrosis)」と呼ばれる病態を引き起こす 15

同時に、血管壁内ではマトリックスメタロプロテアーゼ(Matrix Metalloproteinases; MMPs)と呼ばれる酵素群の活性が上昇する。MMPsは既存のECM、特に規則正しく配列していたエラスチン線維網を分解する 4。その結果、中膜のECMは、しなやかでエラスチンが豊富な健康な状態から、硬くコラーゲンが過剰に蓄積した線維性のマトリックスへと質的に変貌する 14

このマトリックス組成の変化は、血管の機能的パラダイムを根本的に変容させる。エラスチンが豊富な健康な中膜は、心周期に伴う圧脈動を吸収・解放する洗練された「弾性エネルギー貯蔵庫」として機能する。しかし、リモデリングによって硬いコラーゲン線維がエラスチンに取って代わると、血管はその弾力性を失い、単なる硬直した「導管」へと変貌する。この変化は、血管壁が引張強度という点では「強化」される一方で、脈圧緩衝という極めて重要な血行動態的機能を失うという、不適応な代償を意味する。この機能的欠損、すなわち動脈硬化度の増大こそが、収縮期高血圧を悪化させ、末梢臓器障害を加速させる悪循環の主要な駆動因子となるのである。

第4章 新生内膜の形成:内側からの病理学的肥厚

4.1. VSMCの指向性遊走:中膜から内膜への旅

初期の内皮損傷とそれに続く炎症シグナルに応答して、内膜肥厚における決定的なイベントが起こる。それは、表現型スイッチを遂げた中膜のVSMCが、内弾性板を分解・通過し、内皮下の空間(内膜)へと遊走(migration)するプロセスである 18

この遊走は、MMPsなどのタンパク質分解酵素を用いて周囲のECMを分解しながら進む、能動的なプロセスである 30。この移動はランダムではなく、PDGFなどの化学誘引物質(chemoattractant)によって方向付けられており、損傷部位へとVSMCを動員する 27

4.2. 内膜空間における増殖とマトリックス分泌

内膜に到達したVSMCは、局所的に産生される増殖因子の影響を受け、そこでさらに増殖を続ける。これにより、本来は細胞成分が非常に少ない内膜層の細胞数が劇的に増加する 18

これらの内膜VSMCは合成型表現型を維持しており、大量の細胞外マトリックス、主にコラーゲンとプロテオグリカンを産生・分泌する。これにより、この新たに形成された層の体積がさらに増大する 26。この一連のプロセスによって形成される病理学的な層は「新生内膜(neointima)」と呼ばれ、その形成プロセスは「内膜肥厚(intimal hyperplasia)」と称される 26

4.3. 成熟した新生内膜の構造と帰結

最終的に形成される新生内膜は、密で無秩序なコラーゲン性マトリックスに埋め込まれた、多層の合成型VSMCからなる病理学的構造物である 18

この新生内膜は、物理的に血管内腔へと突出し、内腔の狭窄(stenosis)を引き起こす。これが動脈硬化症や血管形成術後の再狭窄の主要な原因であるが、高血圧においても血管壁全体の肥厚と硬化に大きく寄与する 30

内膜肥厚というプロセスは、細胞の遊走、増殖、マトリックス沈着によって新たな組織層を形成するという点で、本質的に組織形成プロセスそのものである。実際、動脈管閉鎖のような生理的な発生過程でも内膜肥厚は観察される 30。このことから、高血圧における病的な内膜肥厚は、本来は組織修復や発生のために備わっている潜在的なプログラムが、不適切に、かつ慢性的に活性化された結果であると理解できる 26。通常の創傷治癒であれば、治癒の完了と共にプロセスを終結させる「停止シグナル」が働く。しかし、高血圧という刺激は慢性的かつ持続的であるため、この停止シグナルが機能せず、治癒応答が永遠に解決されないまま暴走する。その結果、進行性の内腔狭窄という病理学的帰結に至るのである。これは、新生内膜形成が全く新しい疾患プロセスなのではなく、根源的な生物学的プログラムが誤って利用された結果であることを示唆している。

第5章 血管肥厚の直接的エフェクター:細胞・分子インベントリ

高血圧における血管壁の肥厚は、特定の細胞と分子が直接的な実行役(エフェクター)となって引き起こされる。以下にその主要な構成要素を詳述する。

5.1. 細胞性構成要素

  • 合成型血管平滑筋細胞(Synthetic VSMC):この細胞こそが、肥厚した血管壁の主要な「建築家」である。その機能、すなわち肥大、増殖、遊走、そして細胞外マトリックスの過剰産生は、リモデリングされた構造を物理的に構築する直接的な細胞活動そのものである 19
  • 機能不全に陥った血管内皮細胞(Dysfunctional EC):この細胞は、プロセスの「起爆役」であり「変調役」である。透過性の亢進、炎症誘発性シグナルや増殖因子の分泌を通じて、リモデリングが開始・進行するための病的な環境を創出する 11
  • 炎症性白血球(マクロファージ、リンパ球など):これらの細胞は、病態の「増幅役」として機能する。機能不全の内皮細胞によって血管壁に動員され、浸潤した後は、腫瘍壊死因子$\alpha$(TNF-α)、インターロイキン-1$\beta$(IL-1$\beta$)、IL-6といったサイトカイン、ケモカイン、増殖因子を大量に放出する。これらの因子はVSMCをさらに刺激し、炎症サイクルを永続させる 3

5.2. 細胞外マトリックス構成要素

  • コラーゲン(I型およびIII型):これらは血管線維化の主たる構成要素である。合成型VSMCによって過剰に分泌され、病的な引張強度を血管壁に与える一方で、動脈硬化度を増大させる最大の原因となる 15
  • エラスチン:これは分解の主要な標的である。MMPsによってエラスチンが分解されることで、血管のコンプライアンスと弾力性が失われ、高血圧における致命的な機能不全につながる 4。過剰なコラーゲンの「存在」と同様に、機能的なエラスチンの「不在」が病態の重要な側面である。
  • プロテオグリカン:合成型VSMCから分泌される巨大な分子であり、新生内膜の体積を増大させる。また、リポタンパク質を捕捉したり、増殖因子を結合・保持したりすることで、病態をさらに悪化させる可能性がある 18
  • マトリックスメタロプロテアーゼ(MMPs)と組織メタロプロテアーゼ阻害因子(TIMPs):この酵素システムは、ECMを再構築する「解体・再編装置」である。高血圧下で活性が亢進したMMPsは、既存のマトリックス(特にエラスチン)を分解し、VSMCの遊走や構造再編を可能にする 4。MMPsとその内因性阻害因子であるTIMPsとのバランスが、マトリックスタンパク質の分解と蓄積の正味の結果を決定する。

リモデリングによって再構築されたECMは、単なる不活性な「瘢痕組織」ではない。それは、生物学的に活性な「貯蔵庫」として機能する。例えば、強力な線維化促進サイトカインであるトランスフォーミング増殖因子$\beta$(TGF-β)は、不活性な状態でECM内に貯蔵されており、プロテアーゼなどによって活性化されうる 34。また、プロテオグリカンは増殖因子を捕捉し、局所的な高濃度シグナル伝達領域(ホットスポット)を形成する 18。さらに、コラーゲンが豊富で硬いマトリックス自体の物理的特性が、細胞に機械的シグナルをフィードバックし、その表現型に影響を与えることさえある 20。このように、ECMはリモデリングの単なる「産物」ではなく、プロセスを調節し、永続させる「能動的な参加者」なのである。ECMの組成そのものが細胞の挙動を規定し、マトリックス自体が病態を維持・増悪させるフィードバックループを形成している。

第6章 マスターレギュレーター:病理的リモデリングを駆動するシグナル伝達経路

高血圧性血管リモデリングは、複数のシグナル伝達経路が複雑に絡み合い、協調することで駆動される。以下に、そのマスターレギュレーターとなる主要な刺激とシグナル伝達系を概説する。

表2. 高血圧性血管リモデリングにおける主要な分子メディエーターとシグナル伝達経路

刺激・メディエーター 主要な供給源 VSMCへの主要な作用 主要なシグナル伝達経路
機械的伸展 物理的力(血圧) 肥大、増殖 インテグリン、伸展活性化イオンチャネル
アンジオテンシンII 腎臓、局所組織 肥大、増殖、遊走、線維化 AT1R → PLC/PKC, MAPK, Rho/ROCK
PDGF 血小板、EC、VSMC 遊走、増殖 PDGFR → PI3K/Akt, MAPK
TGF-β 血小板、VSMC、マトリックス 線維化、コラーゲン合成、肥大 T$\beta$R → Smad, MAPK
炎症性サイトカイン 免疫細胞、EC 炎症、増殖 サイトカイン受容体 → JAK/STAT, NF-κB

6.1. メカノトランスダクション:物理的ストレスに対する細胞応答

高血圧に伴う持続的な高い壁張力と周期的な伸展は、血管壁細胞に対する直接的な物理的刺激となる 35。VSMCやECは、これらの機械的な力を、細胞とECMを連結するインテグリンや、膜の伸展によって開口する伸展活性化イオンチャネルといった「メカノセンサー」を介して感知する 37

この機械的シグナルは、細胞内の一連の生化学的シグナルへと変換(メカノトランスダクション)される。この変換プロセスを通じて、VSMCの肥大、増殖、マトリックス合成を促進する細胞内シグナル伝達経路が活性化される 39。すなわち、機械的な力そのものが、強力な増殖・肥大シグナルとして機能するのである 17

6.2. レニン・アンジオテンシン・アルドステロン系(RAAS):アンジオテンシンIIの多面的役割

Ang IIは、血管リモデリングにおける中心的なマスターレギュレーターである 3。主にVSMC上に発現するAT1受容体を介して作用し、強力な血管収縮作用を持つと同時に、強力な増殖因子としても機能する 41

Ang IIはVSMCのタンパク質合成を直接刺激し、細胞肥大を誘導する 22。その作用は、ホスホリパーゼC(PLC)、プロテインキナーゼC(PKC)、マイトジェン活性化プロテインキナーゼ(MAPK)カスケードといった、細胞増殖に関わる複数の細胞内シグナル伝達系を活性化させることで媒介される 24。さらに、Ang IIはTGF-

βの産生・活性化を促進することで線維化を助長し 34、NADPHオキシダーゼを活性化して活性酸素種(ROS)の産生を増大させることで、酸化ストレスと炎症を増悪させる 24

6.3. 増殖因子シグナル伝達:役割分担

  • 血小板由来増殖因子(PDGF):VSMCに対する極めて強力な化学誘引物質であり、分裂促進因子である 27。血管損傷部位で血小板、EC、VSMCから放出され、VSMCが中膜から内膜へ遊走し、新生内膜内で増殖する主要な駆動因子となる 21。そのシグナルは、受容体型チロシンキナーゼの活性化を介し、PI3K/Akt経路やMAPK経路へと伝達される 28
  • トランスフォーミング増殖因子$\beta$(TGF-β):線維化を司るマスターレギュレーターである 34。VSMCに作用し、I型およびIII型コラーゲンの合成と分泌を強力に促進する 29。増殖に対しては文脈依存的に複雑な作用を示すが、血管リモデリングにおけるその支配的な役割は、細胞外マトリックスの沈着を促進することにある 43。シグナル伝達は、主に古典的なSmad経路を介して行われるが、MAPKなどの他の経路とのクロストークも重要である 34

6.4. 炎症性環境:病理的応答の持続

慢性炎症は、高血圧性リモデリングの単なる副産物ではなく、その中核をなす構成要素である 3。免疫細胞や血管壁細胞から放出されるTNF-

αやIL-6といったサイトカインは、内皮機能不全を助長するとともに、VSMCの増殖やマトリックス産生を直接刺激する。これらの作用は、多くの場合、NF-κBやJAK/STATといった炎症性シグナル伝達経路の活性化を介して行われる 4

高血圧における血管リモデリングは、機械的ストレスと液性因子が独立して作用するのではなく、相互に増強しあう「悪循環(vicious feedback loop)」を形成することで、持続的かつ進行性の病態となる 1。このループは以下のように進行する:(1) 高血圧による機械的ストレスが血管内皮機能障害と局所レニン・アンジオテンシン系の活性化を引き起こす。(2) これにより局所のAng II濃度が上昇する。(3) Ang IIはVSMCの肥大と線維化を強力に促進する 24。(4) この構造的リモデリングが動脈壁の硬化度を増大させる。(5) 硬化した動脈は収縮期血圧と脈圧をさらに上昇させ、初期の機械的ストレスを増悪させる。この自己増幅的なサイクルこそが高血圧症が進行性疾患である理由を説明し、単に血圧を降下させるだけでは、一度確立された血管の構造的損傷を完全には回復できない場合があることの根拠となる。

第7章 統合と臨床的展望

7.1. 高血圧性血管肥厚の統合モデル

本稿で詳述してきた知見を統合すると、高血圧性血管肥厚は以下のような一連のプロセスとして描くことができる。まず、高血圧という初期の負荷が内皮機能不全を引き起こす。これが引き金となり、血管壁内は炎症誘発性かつ増殖促進性の環境へと変貌する。この環境に応答して、VSMCは収縮型から合成型へと表現型をスイッチさせる。この変容したVSMCが、中膜の肥大・線維化と、新生内膜形成による内膜肥厚という二つの主要な病理を同時に進行させる。これらのプロセスは、機械的ストレス、RAAS、特異的な増殖因子(PDGF、TGF-β)、そして持続的な炎症性環境の相乗効果によって駆動され、互いに増強しあう悪循環を形成する。このプロセスの直接的な実行役は、表現型を転換したVSMCと、それらが産生する病的な細胞外マトリックス(主にコラーゲン)である。

7.2. 機能的帰結:動脈硬化から臓器障害へ

血管壁の肥厚、線維化、内腔狭窄といった構造的変化は、深刻な機能的帰結をもたらす。具体的には、動脈硬化度の増大(コンプライアンスの低下)、脈波伝播速度の上昇、血管拡張能の障害、そして末梢臓器における血流予備能の低下などである 1。これらの血行動態の異常が、高血圧患者における脳卒中、心筋梗塞、心不全、慢性腎臓病のリスクを増大させる直接的な原因となる 1

7.3. 将来の治療戦略

これらの詳細な機序の解明は、新たな治療法開発の道を開く。単に血圧を下げるという従来の治療を超えて、将来的にはリモデリングの根幹をなす細胞・分子イベントを直接標的とする戦略が期待される。例えば、VSMCの表現型スイッチの阻害、特定の増殖因子経路(PDGFやTGF-βシグナル)の遮断、血管壁の炎症の解消、あるいは蓄積した線維性マトリックスの分解促進などが考えられる。また、血管構造そのものを非侵襲的に評価する技術は、将来的に心血管リスクを層別化し、治療効果をモニタリングするための重要なツールとなる可能性がある 7

 

結論

高血圧症における血管内膜および中膜の肥厚は、単なる受動的な変性プロセスではなく、能動的かつ複雑な生物学的リモデリングの結果である。その直接的な要因は、静止期の収縮型から逸脱し、増殖・遊走・マトリックス産生能を獲得した「合成型血管平滑筋細胞」と、同細胞が過剰に産生・沈着させる「病的な細胞外マトリックス(主としてコラーゲン)」である。このリモデリングは、機械的ストレス、液性因子(特にアンジオテンシンII)、そして炎症性シグナルが血管壁で収束し、互いを増強する自己永続的な悪循環を形成することで統御されている。この構造的・機能的劣化の連鎖こそが、最終的に高血圧に関連する致死的な心血管疾患を引き起こす根源的な病態である。

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