脚気の症状
ビタミンB1が欠乏すると、まずはイライラ、倦怠感、食欲の低下などの症状が表れます。また末梢神経や中枢神経に異常が生じ、手や足の先に痛みやしびれが出るようになります。さらに進行すると筋力が衰え、感覚障害が出て歩行が不自由になります。また膝下をたたくと足が跳ね上がる膝蓋腱反射がなくなり、反応しなくなります。重症化すると同時に心臓機能が低下し、心拍数の増加、手足のむくみ、胸水がたまるなどの症状が表れます。急に心筋虚脱を生じる脚気衝心(かっけしょうしん)が出ることもあり、最悪の場合は心不全により死に至ります。(Doctors File 2020/08/03 監修医師 聖マリアンナ医科大学 東横病院 生活習慣病センター長 太田 明雄 先生)
ビタミン不足が原因で中枢神経が侵されて足元がふらついたり倦怠感や心不全、いらいらなど様々な脚気症状を招いてしまった。
脚気は、いったん患うと数日で亡くなることも珍しくなかった。
(「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体 大正期には1年で「約3万人」もの命が奪われた 新 晴正 2021/03/07 6:30 東洋経済ONLINE)
脚気を患った有名人・脚気による死亡者
日本史上、「脚気」が原因で亡くなったと思われる有名人は少なくない。徳川将軍家などは3代家光、5代綱吉、13代家定、14代家茂とまさにオンパレードである。
豊臣秀吉も脚気で亡くなったとする説が有力視されている。晩年の秀吉が悩まされていた、下痢や失禁、精神錯乱などはまさにビタミン不足によるものだという。
明治から大正時代にかけては江戸時代よりもはるかに多くの患者を出し続けたとみられており、肺結核と並んで二大国民病とも言われた。
日清戦争(明治27年)では約20万の兵を動員したが、その2割までが脚気患者だった。
日露戦争でもはっきり表れた。戦病死者3万7200余人のうち、脚気による死者は実に約75パーセントに当たる2万7800人を数えた(『医海時報』明治41年10月)。
(2021/03/07 6:30 東洋経済ONLINE)
ビタミンの発見
明治43年になり、農芸化学の鈴木梅太郎博士が、ぬかの中からビタミンを抽出することに成功する。しかし、鈴木博士は医学者ではなかったため医学界からは何年も黙殺された。これも脚気患者を増やす一因となった。(2021/03/07 6:30 東洋経済ONLINE)