ATPの高エネルギーリン酸結合とは?結合エネルギーの大きさにあらず。放出されたエネルギーはどこに蓄えられていた?

スポンサーリンク

ATPは高エネルギーリン酸結合に蓄えていたエネルギーを放出するのか?

ATPは、高エネルギーリン酸結合をもっているのでエネルギーを蓄えることができるといった説明を目にすることがあります。

ATPがADPに加水分解されるときに、高エネルギーリン酸結合が切れ、たくわえられていた化学エネルギーが放出される。(畠山『生化学』24ページ)

ATPというのは実は高校の生物基礎で勉強するので、そこではどう教えているんだっけと思ってみてみると、教育産業の動画ですが、

この2番目のリン酸と3番目のリン酸、実はここにはエネルギーが蓄えられている。エネルギーが蓄えられているんだけど、ここの結合のことを高エネルギーリン酸結合っていうふうに言います。ここにはエネルギーが実は蓄えられているから、ここの リン酸を取ると、ここの高エネルギーリン酸結合のエネルギーが外に放出されて、このエネルギーを例えば熱を作るとか筋肉を収縮させるみたいなことに使ったりするんだね。(TryIt 5分でわかる!ATPの構造

自分がこの動画で勉強したわけでは勿論ないのですが、高校レベルだと学習塾などではこういう説明がなされているのかもしれません。さすがに教科書であればもっと正確に記載しているのだろうと思います。この2例からわかるように、学習者が、結合にエネルギーが蓄えられていると誤解してしまうような説明が巷にあることは、自分のもやもやの一因かなと思います。

上の解説のような、化学結合にエネルギーが蓄えられているという表現は、自分には理解しづらいものでした。原子と原子のほうがエネルギー準位が高くて、結合したほうがエネルギーが低くなるからこそ、結合しているわけです。結合を切り離すためにはむしろエネルギーが必要なわけですから、エネルギーを蓄えているというのがしっくりきません。

上の教科書をもう一回じっくり読んでみると、

どのようにしてATPにエネルギーが貯蓄されているのだろうか。ATPのリン酸基は、リン酸結合でつながっている。このリン酸基の酸素原子(O)には電子がかたよっており、酸素原子同士は反発している。この結合は、高エネルギーリン酸結合とよばれる。ATPがADPに加水分解されるときに、高エネルギーリン酸結合が切れ、たくわえられていた化学エネルギーが放出される。(畠山『生化学』24ページ)

最初に静電的な反発のことが説明されていたので、リン原子と酸素原子との間の結合そのものにエネルギーが蓄えられていたという意図での説明では実はなかったのかもしれないと思い直しました。自分が読み違えてしまっただけかもしれません。高校化学の塾の動画は、高校レベルだから仕方がないのかもしれませんが、結合にエネルギーが蓄えられているという説明だったと思います。

別の教科書を見てみると、

化合物の特定の共有結合の加水分解によって大きなエネルギーが放出される場合、その化合物を高エネルギー化合物と言い、加水分解を受ける共有結合を高エネルギー結合という。(三輪・中『生化学』173ページ)

上の説明だと、呼び名の説明をしているだけであって、エネルギーが何に由来するのかといった原理的な説明をしているわけではないので、記述としては正しいのだと思います。だからといって、説明してもらった気はしないので、分かった気にはなりにくいです。

まあ、「高エネルギーリン酸結合が切れ、たくわえられていた化学エネルギーが放出される」という説明は、どこにたくわえられたていたのかはハッキリとは書かれていないので、「結合にたくわえられていた」と誤解して読んでしまいそうです。

 

エネルギーはリン原子と酸素原子との間の結合そのものに由来するわけではない

もしもATPの「高エネルギー」がリン酸エステルのPとOとの結合にだけ由来するというのであれば、ATPがADPになるときに放出されるエネルギー、ADPがAMPになるときに放出されるエネルギー、AMPがアデノシンになるときに放出されるエネルギーがどれも同じであるべきでしょう。実際のところ、これらの値はいくつなのでしょうか。

The hydrolysis of ATP to ADP + P, and that of ADP to AMP + P, have , values of -30.5 kJ/mol, while the hydrolysis of AMP to adenosine and P has a value of -14.2 kJ/mol. (study.com)

AMPの加水分解による自由エネルギーの値は、ATPやADPの加水分解のときの約半分のようです。これをみても、結合そのものに由来するエネルギーではなさそうです。

ストライヤーやヴォ―ト(VOET)の生化学の教科書にその点がはっきりと書かれていました。

”高エネルギー”化合物における”エネルギー”の由来 加水分解が大きな負のΔGo’値(習慣で-25kJ・mol-1より負)をもつ結合を”高エネルギー”結合(high energy bondまたはenergy-rich bond)とよび、その結合をふつう波印(~)で表す。ATPはAR-P~P~Pとなる。Aはアデニン、Rはリボシル基、Pはリン酸基を表す。しかしATPのアデノシル基にリン酸基を付けるリン酸エステル結合と、ATPのα、β、およびβとγのリン酸基の結びつける”高エネルギー”結合とは電子的にあまり差があるとは思えない。事実これらの結合に変わった性質はなく、”高エネルギー”結合という言葉は正しいとはいえない(いずれにしても”結合エネルギー”は共有結合している原子を加水分解ではなく切離すのに必要なエネルギーと別に定義されている)。(ヴォ―ト基礎生化学第5版 300ページ)

どう考えれば納得のいくのかと思ってあれこれ調べていたら、より正確な説明では、この高エネルギーリン酸結合というものは、(リン酸エステルのリン原子と酸素原子との結合に由来するエネルギーというわけではなく)加水分解されたときにエネルギーをたくさん放出するからそう呼ばれるということのようです。ウィキペディアや、メジャーな生化学の教科書には詳細な説明がありました。

反応の自由エネルギー変化が大きいのであって、P-O間の結合エネルギーは一般の化合物と比べて特に大きいわけではない点に注意が必要である。‥ 「高エネルギー」という用語は、負の自由エネルギー変化の直接的な原因が結合それ自身の切断によるものではないため誤解を招きかねない。これらの結合の切断は、ほとんどの結合の切断と同様に吸エルゴン的であり、エネルギーを放出するよりむしろ消費する。負の自由エネルギー変化はそれよりむしろ、加水分解後に生じる結合(またはATPによる残基のリン酸化)が加水分解前に存在する結合よりもエネルギー的に低いという事実から来ている(これには、リン酸結合自身だけでなく、反応に関与する「全て」の結合が含まれる)。この効果は反応物と比較した生成物の共鳴安定化および溶媒和の増大など数多くの原因によるものである。(高エネルギーリン酸結合 ウィキペディア)

 

高エネルギーリン酸結合というのは、結合エネルギーが高いという意味では決してありませんよという丁寧な説明をしている教科書もありました。

高エネルギー結合とは、この結合を切断(開裂)するためのエネルギー(結合エネルギー)が高いことではない。(カラーイラストで学ぶ集中講義生化学改訂第2版 9ページ)

ここまではっきり言ってくれると、紛れがなくていいですね。「高エネルギーリン酸結合」と言う言葉の中には、「結合」、「エネルギー」という言葉が含まれてしまっているため、非常に誤解を招きやすいと思います。 他の生化学の教科書でもこの点を明瞭に説明していました。

高エネルギーリン酸結合(~P)は通常いわれている結合エネルギーと同じ内容を意味していない。リン酸結合エネルギーは、リン酸化合物が加水分解され、リン酸が生成されたときの生成物と反応物の自由エネルギーの差であるが、通常いわれている結合エネルギーは、2原子間の結合を切断するのに必要なエネルギーを意味している。小野寺ほか『生化学』朝倉書店 85ページ)

中垣ら『生物物理化学』だったかマクマリー『有機化学概説』だったか、どっちか忘れましたが、高エネルギーリン酸結合は、化学熱力学でいう結合エネルギーが大きい結合という意味ではなく、逆で、結合エネルギーが小さい結合だと述べられていました。

数十年前の高校の生物の教科書を見ると「切れやすい」結合なのエネルギーが高いという説明をしていました。切れやすいということはとりもなおさず結合エネルギーが小さいということです。化学熱力学でいう結合エネルギーは結合を切断するのに要するエネルギーのことです。

高エネルギーリン酸結合のエネルギーはどこから?

じゃあエネルギーはどこに蓄えられていたのという話なのですが、ウィペディアや上の教科書(小野寺ほか『生化学』)によれば、ATPにリン酸が3つ結合しているわけですが、マイナスイオンになっている酸素が4つも密集していて電気的な反発があり不安定なこと、P=Oの結合でも電子は酸素のほうに引き寄せられるのでPはプラスに偏っていること(δ+)そのP同士が、プラスとプラスで反発するので不安定なことなどが挙げられています(他に、生成物のほうが電子の共鳴によって安定だそう)。加水分解による生成物は、そういった静電的な反発が減って安定になるので、その差が自由エネルギー変化というわけです。

自分の疑問に生化学の教科書はどう答えてくれるのか?という興味で、もう少し他の教科書も見てみます。

「高エネルギー結合」という用語は、ATP加水分解のΔG0’で定義される生物学的用語である。ATPとほぼ同等あるいはそれ以上のエネルギーの放出を伴って加水分解される結合はどれも高エネルギー結合と呼ばれる。‥ これらの分子に共通する特徴は、すべての高エネルギー結合が「不安定」でその加水分解がかなりの自由エネルギーを生む点であり、これは分子内での電子共鳴のため生成物がはるかに安定だからである。(マークス臨床生化学 5th edition 251~252ページ)

この教科書は、高エネルギー結合という言葉は生物学で使う言葉ですよと言っています。つまり化学で出てくる言葉とは別物ということなんですね。この教科書は、静電反発には触れずに、電子共鳴による安定化が、大きなエネルギーの由来だと説明していました。不安定ということはエネルギーが高いという意味ですから、この説明なら頭に入りやすいです。

ストライヤーの生化学の教科書に至っては、そもそも高エネルギー結合という言葉を前面に出していません。そのかわりの表現として、ATPはリン酸基転移ポテンシャルが高いという言い方をしています。ひとしきり説明を終えたあとに、注釈的な扱いで、説明があります。

ATPはしばしば高エネルギーリン酸化合物とよばれ、そのリン酸無水物結合は高エネルギー結合といわれる。そして、このような結合を表記するのに~Pがよく用いられる。といっても、結合それ自体は特別なものではない。上記の理由により、加水分解されるときに大量のギブズエネルギーが放出されるという意味において高エネルギー結合なのである。(ストライヤー 基礎生化学 第4版 東京化学同人 193ページ)

上記の理由というのは、静電的反発、共鳴安定化、エントロピーの増大、水和による安定化 の4つで、それぞれの解説がなされています。ADPに結合した~Pに対してもよりも、無機リン酸に遊離した場合のほうが水分子が四方八方からアクセスできるので、水和しやすいというのは理解できます。また、エントロピー増大というのは、単純に1分子(ATP)が2分子(ADPとPi)になったからというわけです。加水分解なので水分子が一つ減っていますが、水の濃度を考えれば加水分解で使われる水のことは無視してよいそうです。共鳴安定化というのは、いくつの配置をとりえるかということで、HPO4 2- であれば、4つのOとの間でPとの二重結合が形成できて共鳴するそうです。水素がついている酸素との間に二重結合ができるときは、-P=OH+ となっています。ところがAMP~P~Pにおいては、このような配置(共鳴構造式)は実現しないため、共鳴する配置の数が一つ少ない、つまり共鳴による安定性と言う意味では、無機リン酸よりも不安定なのだそう。

さすがストライヤーの教科書ですね。化学的な説明が詳細でした。

ハーパーの生化学でも、基転移ポテンシャル(group transfer potential)という語の方が、”高エネルギー結合”よりもよいとする人もいる。(イラストレイテッド ハーパー・生化学 原書30版 丸善出版 136ページ) と説明しています。ハーパーの教科書では、ATPがADPに加水分解されることに伴う自由エネルギー変化の説明として、ATP4-にある4つの負の電荷間の反発が、ADP3で3つになることでやわらげられていること、遊離したリン酸は3つの電荷が4つの酸素原子間に振り分けられてて共鳴混成体を形成することで安定化するということを説明しています(137ページ 図11-6)。

ヴォ―ト(VOET)の生化学の教科書にも、高エネルギーの由来が説明されています。この教科書では、理由として、共鳴安定化、静電反発力の差、溶媒和のエネルギーの差が挙げられています。ちなみに、α、β、γというのはAMP、ADP,ATPの順につくリン酸の呼称。AR-P~P~Pの三つの線(結合)のうち、-は、「リン酸エステル結合」、~は「リン酸無水物結合」と呼ばれます(ヴォ―ト基礎生化学第5版 299ページ)。AR-Pの結合はリン酸エステル結合で、~はリン酸無水物結合、と種類(呼称)が違うんですね。今まで混同していました。この「リン酸無水物結合」の方が、高エネルギー結合と呼ばれて~という記号をわざわざ使って表記します。

  1. リン酸エステル結合はリン酸とヒドロキシ基の間で起こるエステル結合です。リン酸無水物結合はリン酸同士の間で起こる縮合です。YAHOO!JAPAN知恵袋
  2. リン酸無水結合 2個のリン酸が脱水して重合した結合(ピロリン酸結合)で、生体における高エネルギー結合。 ウェブリオ
  3. 酸無水物とエステル結合の違い YAHOO!JAPAN知恵袋 エステルは、アルコールと酸が結合したもの 大きく脱水縮合という枠があって、その中にエステル化や酸無水物

ひとくちメモ 共鳴 化学構造における電子の非局在化を共鳴という。ある分子の構造式が2通りも、3通りもの方法で描けるとき、多数の方法で描ける分子ほど共鳴による安定化が大きい。(ヴォ―ト基礎生化学第5版 300ページ)

  1. 7.6: ATP as Energy carrier LibreTexts(Chemistry) Table of common cellular phosphorylated molecules and their respective free energies of hydrolysis, under physiological conditions.
  2. 生命エネルギーの通貨ATP 〜ATPのエネルギー放出の分子メカニズム〜 東北大学 化学結合が切れるのに、エネルギーが放出されるとは、どういうことでしょうか?これまでの生物学の教科書には、そのエネルギー放出のメカニズムについていくつかの推測が書かれていますが、まだ本当のことは分かっていないのです。

確かに教科書の説明は、意外なことにあまり断定的に書かれていません。確定的なことは言えないということなのでしょうか。こんな古典的な内容が、実はメカニズムという点では現在の研究対象になるというのは面白いものです。比較的最近の科研費研究にもこのテーマがありました。

反応に関与する分子を量子化学の方法で扱い、周りの水分子を経験的分子力場で扱うQM/MM法を用いた。特に、最近提案された平均場近似に基づく方法(溶質の波動関数を溶媒平均場の下で決定し、得られた平均波動関数を溶媒に埋め込む)を用いて、反応に伴う自由エネルギープロファイルを定量的に計算した。その結果、全自由エネルギーの変化は溶質分子内のエネルギー寄与(リン酸基間のクーロン反発)と、溶質–溶媒間の静電相互作用による安定化(溶媒和自由エネルギー)の大きなキャンセレーションによって生じていることが分かった。溶質分子内におけるクーロン反発は末端リン酸基を解離させる力として働くが、まわりの水分子はリン酸基の解離を抑制する方向の力を与えており、両者のつりあいが反応速度を決めていることになる。その結果、誘電率の低い溶媒(有機溶媒)では、溶媒和による反応の抑制効果が十分でなくなり、末端リン酸は非常に解離しやすい状態となることが分かる。これは、酵素中(低誘電率のタンパク環境)におけるATP加水分解を促進する物理的な原因の一つであると考えられる。(研究課題/領域番号 21118508 多中心プロトン移動を含むATP加水分解とその自由エネルギープロファイルの理論研究 研究期間 (年度) 2009 – 2010)

 

高エネルギーリン酸結合は誤解を招く呼称

上で参照した教科書に書いてあったとおり、高エネルギーリン酸結合というのは、非常に誤解を招きやすい表現だと思います。名は体を表さない一例でしょう。初学者は、この落とし穴にはまらないようにしたいものです。

実際、教える側の一部もこの誤解をしたまま教えているようなフシがあります。

 

参考記事(その他)

  1. ATPの加水分ӂで、AMPとピロリン酸になるときがあるが、なぜATP→ADPとリン酸ではなく、ピロリン酸とAMPとに分解されるのか。ATPからひとつずつリン酸がとれるのではなく、一度にピロリン酸がとれるのか。→それだけのエネルギーが必要な時は、いきなりAMPに分解されます。sci.kumamoto-u.ac.jp/bio.iden/takano

 

なぜATPをエネルギー通貨として使うのか?と考えてみると、グルコースを酸素により、水と二酸化炭素にするときに発生するギブズの自由エネルギーは非常に大きいわけで、いきなりこの反応を起こしてしまうと、その場で使わない限り、無駄になってしまうわけです。これって、2万円の商品券があるんだけど、使うさいにお釣りは出ませんというようなものです。500円の商品券が2万円分あれば、それで400円の品物を買ったり(お釣りがでないので無駄が少しでますが)、950円のものを買ったりできて、使いやすいということになります。エネルギーは発生させたら何かに「共役」させて使わないと無駄になるので、使いやすい、適当な大きさで貯めておけることが大事なんですね。

 

教科書を何冊も読み比べると、理解がしやすいと思いました。一冊だけだと、ある部分は詳しくても別の部分はあまり詳しく説明していないということがあります。

 

タイトルとURLをコピーしました