発生学は細胞がどのようにして組織や器官を構築するかという話なので、細胞生物学の知識が不可欠です。具体的にいうと、組織を構成する細胞や細胞外基質、細胞の構造、細胞小器官、生体を構成する分子(タンパク質、脂質、核酸、糖質)、といったことです。
発生学はボディプランの形成であったり各臓器の形成過程が主要なテーマですが、発生学の応用例として再生医学も重要なトピックです。再生医療のおける今一番のトピックは京都大学の山中伸弥先生が発見してノーベル賞を受賞したiPS細胞(induced pluripotent stem cells)です。iPS細胞の発見は、最終的に分化した細胞が再び多能性を持った状態に戻ることはないという常識をひっくり返す大発見でした。数学なら数百年前に発見されたことが今でも真実として成り立ちますが、生物学という学問はちょっと特殊で、それまで常識とされていて授業でもそう習っていたようなことが、新発見によって覆るということが起こりえます。常識を覆す研究成果はたいていの場合ノーベル賞授賞の対象になります。
人間は誕生後に成長して老いていきますが、変化し続ける過程ととらえれば、老いも発生学の範疇と言えます。また発生学は遺伝子の働きで説明されることが多いわけですが、遺伝子の多様性が個の多様性を生み出すそのメカニズムも広い意味で発生学といえます。もちろん遺伝子の差だけでなく環境要因の差およびそれらの相互作用が、個体差を生み出す原因だと考えられます。
発生学は何を学ぶ学問かといえば、たった一個の細胞である受精卵が38週間後にどうして赤ちゃんとして誕生してくるのかその途中の過程で起きていることを知りたいということです。人間の体は37兆個の細胞からなると言われますが、2の46乗が70兆なので、たかだか46回受精卵が細胞分裂を行なえば、数的には足りるわけです。しかし、数が増えても人間の体にはなりません。
細胞が分裂するだけでなく、種類も変わる必要があります。人間の体には数百種類の細胞があるとされているので、細胞が分裂するだけでなく、どうやって異なる種類の細胞に変化するのか(細胞分化 と呼びます)が大事です。さらに細胞がバラバラに存在しても人間の体にはならないので、細胞同士が接着して組織をつくり、組織が臓器の形をつくり、それが器官系として機能する必要があります。個々の細胞や、全体としての器官系が、与えらえられた機能を果たす必要もあります。例えば神経系は、感覚を感じ、情報を処理し、運動を司らないといけません。循環器系であれば、心臓がポンプとして血液を押し出して全身にくまなく供給する必要があります。
そうやって複雑な営みを絶え間なく行っている人体ですが、それが受精卵というたった一個の細胞から出発したということは、今でこそ当たり前ですが、二千年以上にわたる科学の歴史なかにおいては、全く当たり前でありませんでした。
前成説
人間の体はどのようにして出来上がるのか?昔の人は、精子もしくは卵子の中にすでに小さな人間の体をしたものが入っていて、それがそのまま大きくなるだけではないかと考えていました。小さな人間のかたちをしたもの homunculus(ホムンクルス)と呼ばれる、小人が精子の中に存在すると考える学説は精子論 spermismと呼ばれ、逆に卵子の方に入っていると考えた学説はovismと呼ばれていました。16席や17世紀ころまでの千数百年間は、今から考えるとばかばかしいかもしれないようなこういう学説が、信じられていたのです。
後成説
前成説に対して、人間の体はもとからそんな形をしていたのではなく後から出来上がってきたのだという学説もあり、それは後成説(こうせいせつ)と呼ばれます。古くは古代ギリシャの時代、当代きっての偉大な科学者であったアリストテレスは、人間は肉体と魂から成り立っているのだから、母親が物質である肉体を月経の血の塊として提供し、それに父親が魂を与えることに人間が作られてくるという説を唱えました。その後、千数百年の間は、前成説が優勢でしたが、顕微鏡が発明されて、発生の過程を顕微鏡で観察できるようになってまた後成説が盛り返します。例えばニワトリの卵で胚発生を観察したヴォルフという人は1759年に発生論という書物を出版して、ニワトリは最初からニワトリの形をしているわけではなく、最初は小さな球体(原基)として生じて、その後に構造が作られてくると唱えました。
顕微鏡で細胞が分裂して増える様子も観察できるようになり、植物や動物の体は細胞からできているという細胞説が確立します。またウィルヒョーという人は、細胞は無から生まれることはなく、かならずもともとあった細胞が分裂することで生じるという説を唱えました。
人間の体も細胞からなりたっており、それらの細胞は何もないところから生まれたのではなくて、もともとあった細胞が分裂して増えて出てきたのだとすると、分裂する一段まえ、さらにその段階の細胞が分裂する前の段階、と順々に時間をさかのぼっていくと、やがて一番大元の段階で存在していた細胞に辿り着くはずです。つまり、「体は細胞からできている」ことと、「細胞は細胞からしかつくられない」ことを合わせると、人間の体は最初はたった1個の細胞から出発していたという仮説がなりたつわけです。そう考えると上記の2つの学説は非常に強力な主張をしているといえます。
動物の体は細胞と細胞外基質からできている
さて、動物の体は細胞からできているという「細胞説」ですが、現在の観点でもう少し正確にいうなら、動物の体は細胞と細胞が分泌した細胞外基質からできているというべきでしょう。
皮膚に関して考えてみましょう。肌の表面をルーペで見ても、細胞の形は見当たりません。皮膚は本当に細胞からできているのでしょうか?皮膚の断面を考えると、細胞が見えてきます。皮膚の一番外側は実はケラチノサイトという扁平な細胞が死んで重なっている状態です。生きたケラチノサイトはその下にいます。また活発に分裂している細胞はさらにその下側に存在しています。皮膚の外側はそうして細胞がぎゅっと詰まって存在しており、その部分は表皮と呼ばれます。それに対して、表皮の内側の部分は細胞はあまり密には存在しておらずまばらです。まばらな細胞の間の空間は何が埋めているかというと、細胞が分泌したコラーゲンという線維が存在しているのです。つまり細胞外基質です。この部分は「真皮 dermis」と呼ばれます。
電子顕微鏡で真皮の部分をみてみると、線維芽細胞という細胞のまわりにコラーゲン線維がみえます。コラーゲン線維はいろいろな方向にむいているので、たまたま繊維方向の切断面をみれば繊維状に形がみえますし、線維方向の垂直な断面を観察すると線維のひとつひとつが粒粒の断面として見ることができます。
皮膚は細胞でできているということはわかりました。人間の体のほかの部分も本当に細胞からできているのでしょうか?筋肉はどうでしょう?
筋肉はアクチン線維とミオシン線維が整然と並んだ構造をしています。その線維の束の外側には核が存在しており線維のひとまとまりが一つの細胞です。筋線維の断面を観察してみると、それぞれの筋線維の束のそばには核が染まってみえます。筋線維の周りには細胞外基質が膜をつくって取り囲んでいます。
筋肉も細胞でできていることがわかりました。では骨はどうでしょう?骨の堅い部分は、骨細胞(こつさいぼう)が分泌したコラーゲン線維のまわりにリン酸カルシウムが沈着して固くなったものです。骨の断面を観察すると、やはり骨細胞が観察されます。自分が分泌した骨の部分に埋もれてしまう形で細胞が存在しているのです。
さて、人間の体はどの部分をとってみても細胞と細胞外基質から成り立っているということが納得してもらえたでしょうか。
人の発生
YOUTUBEには人の受精卵が細胞分裂する(卵割という)様子のビデオがいくつかあります。これらは人工授精して実験用のシャーレの中で育てたものです。倫理的な問題からずっと発生を進めさせることはできないので、だいたい5日目くらいまでしか観察されていません。
ivf embryo developing over 5 days by fertility Dr Raewyn Teirney Fertility Doctor and IVF Specialist Sydney チャンネル登録者数 2130人
最初の5日で、細胞分裂を何回かして、2種類の細胞、「内部細胞塊」と「栄養膜」とに分かれるのがわかると思います。また、途中で、外側の細胞同士がキューっとピッタリ接着される現象、コンパクション、も認められます。
受精卵は2週間もすると羊膜腔(ようまくくう)と卵嚢(らんのう)という2つの袋が合わさったような構造になり、その2つの袋がくっついた部分が二層性胚盤になります。受精後3週間めには中胚葉が形成されて三層の構造になります。
将来人間になるのはどの部分かというと、1週目でいうと内部細胞塊の部分です。2週目でいうと、二層性胚盤の部分です。3週目でいうと三層性胚盤になっている部分です。その部分がどんどん人間らしい形に発生していきます。5週目には手や足のもとになる部分が「出芽」してきます。7週目には指ができています。8週目にはだいぶ人間らしい形になっています。ちなみに受精後8週目までを胚子期と呼びます。胚子期以降は、胎児期と呼ばれ、基本構造はもう出来上がっているのであとはひたすら成長して大きくなる、そんな時期になります。
発生時期の数え方