キルビー判決とは
特許法の歴史において、これほど劇的で、実務を根本からひっくり返した出来事はありません。現代特許法の「最重要アップデート」である「キルビー判決」と「特許法第104条の3」について、解説します。
【知財史の転換点】特許法の世界を変えた「キルビー判決」と「104条の3」をわかりやすく解説
特許法の勉強をしていると、必ず耳にする「キルビー判決」という言葉。そして、それとセットで語られる「特許法第104条の3」。これらは単なる判例や条文ではありません。日本の特許実務を「旧石器時代」から「現代」へと一気に進化させた革命なのです。もしあなたが2000年より前の教科書を読んでいるなら、この話は載っていません。しかし、これを知らずして今の特許法は語れません。今回は、この革命が「何を変えたのか」をわかりやすく解説します。
1. 昔の日本の「おかしなルール」
2000年以前、日本の特許制度には、今では信じられないような「縦割り行政の弊害」がありました。
「裁判所」と「特許庁」の役割分担
-
特許庁: 特許を「与える」場所であり、特許を「無効にする(消す)」場所。
-
裁判所: 特許が「侵害されているか」を判断する場所。
この役割分担があまりに厳格すぎたため、裁判所は「特許の有効・無効」には口出ししてはいけないという不文律がありました。
何が問題だったのか?
例えば、A社が「どう見ても進歩性がない(本来なら無効になるべき)ボロボロの特許」を持っていたとします。A社はその特許を使って、B社を「特許侵害だ!」と訴えました。裁判官は内心こう思います。
「うわ、この特許ひどいな。こんなの無効に決まってるじゃん。B社がかわいそうだ…」
しかし、昔のルールでは裁判官はこう言うしかありませんでした。
「私は『侵害しているか』しか判断できません。『特許が無効だ』と言いたいなら、特許庁に行って審判で争ってきてください。 特許庁が『無効』という審決を出すまでは、この特許は有効として扱います。だからB社さん、残念ですが賠償金を払ってください。」
これを「審決確定前の権利行使」と言います。
明らかに無効な特許でも、形式的に登録されていれば裁判で勝ててしまう。これはB社(被告)にとってあまりに理不尽で、非効率なシステムでした。
2. 革命の勃発:2000年「キルビー判決」
この理不尽な状況を打ち破ったのが、2000年(平成12年)4月11日の最高裁判決、通称「キルビー判決」です。
-
事件: テキサス・インスツルメンツ社(ICの発明者キルビー氏の会社)が、富士通を訴えた事件。
-
争点: 「明らかに無効理由がある特許権を行使することは許されるのか?」
最高裁は、これまでの常識を覆す画期的な判断を下しました。
【最高裁のロジック】
「特許の無効審決が確定する前であっても、特許に明らかな無効理由がある場合、その権利を行使することは、特許法の目的を逸脱するものであり、権利の濫用として許されない。」
つまり、裁判所が「おい、その特許は無効レベルだぞ。そんなもので他人を訴えるのは権利の濫用(ルール違反)だ!」と、その場で行使を止められるようになったのです。
3. 法律への格上げ:2004年「特許法第104条の3」
キルビー判決はあくまで「判例(裁判所の解釈)」でした。これを正式な「法律」として条文化したのが、2004年の法改正で生まれた「特許法第104条の3」です。この条文は、特許権侵害訴訟における「最強の盾」と呼ばれています。
特許法第104条の3(特許権者の権利行使の制限)
特許権侵害訴訟において、その特許が…(中略)…無効審判により無効にされるべきものと認められるときは、特許権者は、相手方に対しその権利を行使することができない。
この条文の意味
これにより、被告(訴えられた側)は、裁判の中で堂々とこう反論できるようになりました。
-
昔の反論: 「私は侵害していません(形が違います)」
-
今の反論: 「侵害以前に、おたくの特許は進歩性がないから無効にされるべきです(無効の抗弁)。 だから私に権利行使なんてできませんよ!」
4. まとめ:何が変わったのか?
この変化を図にすると、以下のようになります。
| キルビー判決・104条の3 以前 | キルビー判決・104条の3 以後 | |
| 裁判所の権限 | 特許の有効性は判断できない。 | 「無効にされるべきか」を判断できる。 |
| 被告の戦い方 |
「侵害していない」と言うしかない。 (別に特許庁で無効審判を起こす必要あり) |
裁判の中で「その特許は無効だ」と反撃できる。 (ワンストップで解決) |
| スピード | 裁判所と特許庁を行ったり来たりで遅い。 | 裁判所だけで決着がつくので速い。 |
| 権利の強さ | ボロボロの特許でも脅威だった。 | ボロボロの特許は裁判で使い物にならなくなった。 |
注意点:裁判所は「特許を消す」わけではない
一つだけ注意点があります。裁判所ができるのは、あくまで「この裁判では権利行使させない(請求棄却)」という判断だけです。特許原簿から特許そのものを消滅(対世的無効)させる権限を持っているのは、今でも特許庁(無効審判)だけです。
-
裁判所(104条の3): 「君の剣は錆びているから、今回の戦いでは使わせない」と止める役。
-
特許庁(無効審判): その剣を完全にへし折って捨てる役。
役割は違いますが、実質的に裁判所が特許の有効性をチェックできるようになったことで、日本の特許紛争はより公平でスピーディーなものへと進化したのです。この「キルビー判決」と「104条の3」は、知財業界では「常識中の常識」です。もし古いテキストで勉強している方がいたら、この部分だけは必ず脳内の情報をアップデートしておいてください!
(Gemini)
質問:テキサス・インスツルメンツ社の主張、富士通の主張、どっちのどういう主張が認められたのか、などもっと技術的なことに言及して教えて。
Gemini:法律論だけでなく、「半導体プロセスの技術的な差異」と、テキサス・インスツルメンツ(TI)が仕掛けた「サブマリン特許(分割出願)」という知財戦略の闇、そして富士通がどう技術的に反論したのかを深掘りして解説します。
【技術解説】キルビー特許訴訟:なぜTIは負け、富士通は勝てたのか?
2000年の最高裁「キルビー判決」は、日本の知財実務を変えた歴史的事件ですが、その裏には熾烈な「半導体レイアウトと製造プロセス」を巡る技術論争がありました。原告は、IC(集積回路)の発明者ジャック・キルビーを擁するテキサス・インスツルメンツ(TI)。被告は、日本の半導体メーカー富士通。皆さんに理解してほしいのは、「TIが主張したかったのは『概念』、富士通が反論したのは『実装技術』」というズレです。
1. 争点となった特許:特許第320275号(キルビー275特許)
まず、この特許が「いつ出願されたか」が重要です。
-
元々の出願(親出願): 1960年(昭和35年)。ICの黎明期です。
-
今回の訴訟の特許(275特許): なんと1986年(昭和61年) に「分割出願」されたもの。
TIは、親出願から何度も分割を繰り返し、特許を成立させずに長期間温存し、日本の半導体産業が成熟して利益が出まくっている1980年代後半になってから、突然この特許を成立させて訴訟を仕掛けました。これを業界では「サブマリン特許」(潜水艦のように突然浮上して攻撃する)と呼びます。
275特許の請求項(クレーム)の技術的骨子
非常にざっくり言うと、以下の構成要件を持っていました。
-
半導体基板がある。
-
その上に複数の回路素子(トランジスタ、抵抗など)が形成されている。
-
それらが絶縁層によって電気的に分離されている。
-
それらが接続手段(配線)によって接続されている。
要するに「IC(集積回路)の基本構造そのもの」です。
2. 技術的な対立点:TI vs 富士通
TIは「現代の全てのICはこの特許に含まれる」と主張し、富士通は「いや、俺たちが作ってるのは全く別物だ」と反論しました。
具体的な技術論争を見てみましょう。
⚔️ TI側の主張(概念論・包括的解釈)
「分離や配線の『方法』はどうでもいい。1つのチップに素子を埋め込み、つなぐという『思想』を使っているなら、それは全てキルビー特許の範囲内だ!」
TIは、キルビーが発明したのは「集積回路というコンセプト」だと主張しました。したがって、製造プロセスが進化していても、「基板上に素子を集積させている」という点において、富士通のDRAMやロジックLSIは全て特許侵害である、という論理です。
🛡️ 富士通側の主張(技術的限定・実施例との乖離)
「いやいや、特許に書いてある『発明の詳細』を見てくれ。キルビーが発明したのは『メサ型分離』と『空中配線』だろ? 我々が使っている『プレーナー技術』とは物理構造が全く違う!」
富士通は、技術的な「実装」の違いを徹底的に突きました。
比較:キルビーのIC vs 現代(当時)のIC
| キルビーの発明(特許の実施例) | 富士通の製品(プレーナー型) | |
| 素子分離 |
メサ分離 基板を物理的にエッチングして「溝」を掘り、空隙で素子同士を絶縁する。 |
PN接合分離 / LOCOS 基板内部に逆バイアスのPN接合を作ったり、酸化膜($SiO_2$)を埋め込んで絶縁する。基板表面は平坦(Planar)。 |
| 配線 |
フライングワイヤ(空中配線) 金線を素子から素子へ、空中に飛ばしてハンダ付けする(スパゲッティ状態)。 |
多層金属配線 絶縁膜の上にアルミや銅を蒸着・スパッタし、リソグラフィでパターン形成する。 |
| 量産性 | 手作業が必要で、大規模集積は不可能。 | 写真製版技術(フォトリソ)により、超微細・大量生産が可能。 |
富士通の主張はこうです。「あなたの特許(275特許)は、古い『空中で配線する技術』についてのものだ。我々の『基板に埋め込んで表面を平らにする技術』は、あなたの特許の技術的範囲には入らない(非侵害)」さらに、もう一つの致命的な攻撃を行いました。
「もし、TIの言うように『配線方法は何でもいい』と広く解釈するなら、その特許は無効だ」
なぜなら、キルビーが出願する前(1960年以前)に、ディスクリート部品を基板上でつなぐ技術(公知技術)は山ほどあったからです。
-
狭く解釈すれば(空中配線限定)→ 富士通は侵害していない。
-
広く解釈すれば(概念すべて)→ 公知技術と同じになり進歩性がなく無効。
これを「包袋の禁反言(ほうたいのきんはんげん)」や「公知技術の抗弁」に近いロジックで攻めたのです。
3. 判決:最高裁はどう判断したか?
最高裁は、技術的な「侵害・非侵害」の議論(東京地裁・高裁で争われた点)を飛び越えて、もっと根本的な「特許の有効性」でバッサリと切り捨てました。
認定された事実
275特許(分割出願されたもの)の内容は、「出願日(1960年)より前の公知技術に基づいて、当業者が容易に発明できたもの」である。つまり、進歩性がない(本来無効にされるべき特許である)。
判決ロジック(権利の濫用)
-
この275特許は、本来、特許庁の審査で拒絶されるべきものだった(あるいは無効審判で無効にされるべきものだ)。
-
そのような「瑕疵(欠陥)のある特許権」に基づいて、侵害訴訟を起こし、相手のビジネスを差し止めたり賠償金を請求したりすることは、「権利の濫用」として許されない。
結果:TIの全面敗訴(富士通の勝訴)
4. まとめ
この裁判で重要なのは、以下の2点です。
- 技術の具体性:
特許請求の範囲(クレーム)の文言が抽象的でも、「明細書に書かれている具体的な技術(実施例)」が古すぎたり、現代の技術(プレーナープロセスなど)と乖離しすぎていると、権利範囲は制限される(あるいは無効とみなされる)。
- 進歩性の壁:
「後から分割出願して、今の製品を狙い撃ちする」という戦略を取ろうとしても、「親出願の時点(1960年)」の技術常識で見て「当たり前(進歩性なし)」と判断されれば、その特許は紙クズ同然になる。
TIは「ICの父」としての権威と、広範な「概念」で攻めましたが、富士通は「半導体工学の物理的な差異(メサvsプレーナー、ワイヤvs蒸着配線)」というエンジニアリングの実実と、「そもそも進歩性がない」という特許法の論理で勝利を収めました。「基本概念」だけでは、技術の進歩した未来までは縛れない。それが技術者にとっても重要な教訓となった事件です。
質問:日本ってアメリカからの特許訴訟攻撃に負けて、莫大な賠償金を払わされたみたいな論調の記事を良くみるけど、すくなくともこの事件に関しては、日本側が完全勝利だったわけね?
Gemini:少なくともこの「2000年のキルビー特許訴訟(最高裁判決)」に関しては、日本側(富士通)の「完全勝利」です。しかし、なぜ世間には「日本はカモにされた」「負け続けた」という印象が強いのか?実は、この勝利に至るまでに、日本企業はTI(テキサス・インスツルメンツ)に天文学的な金額を「貢がされて」いたという悲しい歴史があるからです。この「勝ち」の価値と、それまでの「負け」の歴史を、ブログ記事の締めくくりとして整理しましょう。
日本の知財敗戦史における「一矢報いた」大金星、それがキルビー判決
「日本は知財戦争でアメリカに負け続けてきた」この認識は、半分正解で、半分間違いです。正確には、「散々負けて、搾り取られた末に、最後に富士通が踏ん張って流れを変えた」というのが真実です。
1. 富士通の勝利はどれくらい凄かったか?
まず、ご質問の通り、この裁判の結果は日本側の完勝です。
-
請求額: TIは富士通に対し、巨額の賠償金と製品の製造販売差止を求めました。
-
結果: 最高裁でTIの請求はすべて棄却。富士通が支払った賠償金はゼロ円。
-
影響: これを見ていた他の日本メーカー(東芝、NEC、日立など)も強気になり、TIへの支払いを拒否する流れができました。
これは、長年アメリカ企業に脅され続けてきた日本企業が、「ノー」を突きつけて勝った歴史的瞬間でした。
2. なぜ「日本は負けた」と言われるのか?(莫大な授業料)
それでも「負けた」という印象が強いのには、2つの理由があります。
① 裁判になる前に「何千億円」も払っていたから
実は、この裁判になる前の1980年代〜90年代前半、日本の半導体メーカー各社は、TIに対してライセンス料(特許使用料)を支払い続けていました。
-
TIは半導体事業で赤字を出しても、日本からの特許料収入だけで黒字になるほど儲けていました。
-
その総額は、一説には数千億円〜1兆円規模とも言われます。
-
この莫大な資金が、次世代のライバル(Samsungなど)への投資や、TI自身の復活に使われました。
つまり、「最後の戦い(2000年)」には勝ったけれど、それまでの「10年戦争」では金を払い続けていたのです。
② 「ミノルタ・ハネウェル事件」のトラウマ
もう一つ、日本人の脳裏に焼き付いている「敗北」があります。1992年の「ミノルタ・ハネウェル訴訟(オートフォーカス特許)」です。
-
事件: カメラのオートフォーカス技術を巡り、米ハネウェル社がミノルタ(現コニカミノルタ)などを訴えた。
-
結果: ミノルタは陪審員裁判で惨敗。和解金を含め約160億円もの支払いを余儀なくされた。
-
衝撃: 当時の日本企業にとって160億円は死活問題。「アメリカの裁判怖い」「陪審員怖い」という強烈なトラウマを植え付けました。
この「ミノルタ・ショック」があったからこそ、多くの日本企業は「裁判で戦うより、お金を払って和解しよう」という弱腰姿勢になり、TIなどの「プロ・パテント(特許重視)政策」をとる米国企業の格好の餌食になっていたのです。
3. 富士通が変えた「潮目」
そんな中で、富士通がTIに対して徹底抗戦を選び、最高裁まで戦って勝ったことは、日本の知財戦略における「独立戦争」のような意味を持ちます。
-
Before: アメリカ企業から警告状が来たら、とりあえず金を払って解決する(和解重視)。
-
After: 不当な特許には、無効論や非侵害論で徹底的に戦う(権利行使への対抗)。
このキルビー判決(2000年)を機に、日本でも「知的財産立国」というスローガンが掲げられ、2005年には「知的財産高等裁判所(知財高裁)」が設立されるなど、法的インフラが急速に整備されました。
結論
この事件に関しては日本側の完全勝利です。しかし、それは「長年カモにされ続け、莫大な授業料を払った末に、ようやく手に入れた勝利」でした。「負けてばかりじゃないぞ」というプライドと、「もう二度とカモにはされない」という決意の象徴。それがキルビー判決の真の価値なのです。
キルビー判決から特許法改正へ
キルビー判決(2000年)はあくまで「裁判所の解釈(判例法)」でした。「判例で決まったルールなら、ちゃんと法律(条文)に書き込んで、誰でもわかるようにしようぜ」ということで、2004年(平成16年)の改正で新しい条文が爆誕しました。それが特許法第104条の3です。「何がどう変わったのか」を、ビフォー・アフター形式で比較解説します。
【改正解説】判例から条文へ。第104条の3の誕生
キルビー判決(2000年)から4年後の2004年。判決のロジックをそのまま条文化する形で、特許法に新しい武器が追加されました。
1. ビフォー・アフター比較
最大の違いは、「民法(権利濫用)」というフワッとした一般原則に頼っていたのが、「特許法」という専門ルールの明文規定になったことです。
| Before(~2004年改正前) | After(2005年4月~現在) | |
| 根拠 |
なし(特許法には規定なし) ※民法第1条第3項(権利の濫用)を無理やり借用していた。 |
特許法 第104条の3 (特許権者の権利行使の制限) |
| ロジック | 「特許は一応有効だけど、権利行使するのは信義則に反するからダメ(道徳的NG)」 | 「無効にされるべき特許だから、権利を行使してはならない(法的NG)」 |
| 安定性 | 裁判官の裁量(お気持ち)に左右されやすかった。 | 法律上の「義務/禁止」としてカチッと定まった。 |
2. 条文の解説
では、実際に新設された条文を見てみましょう。(読みやすくカッコ書きなどを整理しています)
【After】特許法 第104条の3 第1項
(特許権者の権利行使の制限)
特許権侵害訴訟において、その特許が…(中略)…特許無効審判により無効にされるべきものと認められるときは、特許権者は、相手方に対しその権利を行使することができない。
【解説と注釈】
この条文には、3つの凄まじいポイントがあります。
① 「無効にされるべきもの」という表現
-
ポイント: 裁判所は「特許を無効にする」とは言っていません。「無効にされるべき(should be)」と言っています。
-
理由: 前述の通り、特許をこの世から消滅させる権限は「特許庁」にしかないからです。裁判所は「特許庁に行けば無効になるはずだよね(予言)」という認定だけを行い、それを理由に請求を棄却します。
② 「権利を行使することができない」という強力な禁止
-
ポイント: 以前のキルビー判決(民法構成)では、「権利の濫用として許されない」という、やや道徳的なニュアンスでした。
-
変化: この条文は「Cannot (できない)」と断言しました。これにより、「無効理由があるなら、絶対に差止も賠償も認めない」というルールが鉄の掟となりました。
③ 防御専用の条文であること
-
注釈: この条文は、あくまで「訴えられた被告(富士通側)」が身を守るための盾です。被告がこの条文を使って勝訴しても、原告の特許権自体は消えずに残ります(ボロボロの状態で)。
3. なぜわざわざ条文化したのか?
「最高裁の判決があるなら、わざわざ法律作らなくてもいいじゃん」と思うかもしれません。しかし、これには重要な意味がありました。
理由1:裁判官の迷いを断つ
判例(キルビー判決)だけだと、下級審(地裁や高裁)の裁判官によっては、「明らかに無効とまでは言えないかな…?」と迷ってしまい、権利濫用を認めるハードルが高くなる懸念がありました。
条文化することで、「無効理由があるなら、躊躇なく請求を棄却しろ」という国会からの命令になったのです。
理由2:無効審判との関係整理
実はこの条文のセットとして、第168条(訴訟手続の中止)の運用も変わりました。昔は「特許庁で審判やってるなら、裁判はストップして結果を待とう」となりがちでしたが、104条の3ができたことで、「裁判所は特許庁を待たなくていい! 自分で判断してさっさと判決を出せ!」という運用が可能になり、裁判スピードが劇的に上がりました。
まとめ
-
Before: 特許法に条文はなく、民法の「権利濫用」という奥の手で対応していた。
-
After: 特許法第104条の3ができ、「無効にされるべき特許は行使不可」と明文化された。
この改正により、キルビー判決の精神(=ダメな特許で威張るな)は、日本の特許システムの「基本OS」として完全にインストールされたのです。
質問:日本の特許法第104条の3に相当する条文は、アメリカ、ヨーロッパなどの国々の特許法にも備わっているの?
Gemini結論から言うと、国によって「ある(アメリカ・イギリス)」と「ない(ドイツ)」に真っ二つに分かれます。実は、日本の104条の3は、「かつてドイツ型(別々)だった日本が、アメリカ型(ワンストップ)の良いところを取り入れて作ったハイブリッドな条文」という背景があります。これを理解すると、世界の特許裁判の仕組みが見えてきます。整理してみましょう。
【世界比較】裁判で「特許無効」と言えるのは日本だけ? 米・欧の事情
「裁判所がいきなり特許の有効性を判断してもいいのか?」このテーマは、世界の知財システムにおける永遠の論点です。大きく分けて、世界には2つの流儀(派閥)があります。
-
アングロサクソン流(米・英): 「裁判所が全部決めるよ!」派
-
ドイツ流(独): 「役割分担しようぜ(侵害と無効は別)」派
日本の104条の3が、これらとどう違うのかを見てみましょう。
1. アメリカ:条文はあるが、もっと強力(完全ワンストップ)
アメリカには、日本の104条の3に相当する条文(米国特許法 第282条)が存在します。というか、日本の104条の3は、このアメリカの制度を理想として作られました。
米国特許法 第282条(推定及び抗弁)
特許は有効と推定される。(中略)
特許の無効(Invalidity)は、侵害訴訟における抗弁(Defenses)となる。
日本との違い:アメリカの裁判所は「破壊神」
- 日本(104条の3):
裁判所は「この裁判では権利行使させない」と止めるだけ。特許そのものを消す権限はない(特許庁の仕事)。
→ 「君の剣は錆びてるから、今回は使わせない」
- アメリカ:
裁判所が判決で「この特許は無効(Invalid)」と宣言できる。判決が確定すれば、その特許は死ぬ。
→ 「君の剣は偽物だ。今ここでへし折ってやる」
アメリカは「司法(裁判所)が最強」の国なので、裁判所が特許庁の判断を覆して特許を消滅させる権限をフルに持っています。日本よりも強力な「完全ワンストップ」です。
2. ドイツ:条文はない(ダブルトラック制)
ヨーロッパの知財大国ドイツは、日本とは真逆の「ドイツ流(分離原則)」を貫いています。ここに104条の3のような条文はありません。
分離原則(Bifurcation System)とは?
ドイツでは、「侵害訴訟(地方裁判所)」と「無効訴訟(連邦特許裁判所)」が完全に分かれています。
- 侵害裁判所(地裁):
「ここでは『侵害しているか』しか見ません。特許が無効かどうかなんて知らん。特許庁が消すまでは有効だ!」
- 被告(訴えられた側):
「ええっ! 無効理由があるのに!」
→ 別の場所にある「連邦特許裁判所」に無効訴訟を起こさないといけない。
恐ろしい「インジャンクション・ギャップ」
これにより、ドイツでは恐ろしい現象が起きます。
-
侵害裁判所:「侵害だ! 差止命令を出す!」(判決が早い)
-
無効裁判所:「うーん、無効かどうか審査中…」(判決が遅い)
結果、「後で無効になるはずの特許なのに、先に差止命令が出て工場が止まる」という悲劇(インジャンクション・ギャップ)が起こり得ます。ドイツには104条の3がないため、今でもこの「ダブルトラック」の苦しみがあります。
3. その他の国々(イギリス・中国・韓国・UPC)
- イギリス:
アメリカ型に近い。裁判所(Patents Court)で侵害と無効をまとめて扱えます(カウンタークレーム)。
- 中国:
かつてはドイツ型(分離)でしたが、現在は最高人民法院の司法解釈により、日本のキルビー判決に近い運用(明らかに無効なら権利行使を認めない)へとシフトしつつあります。
- 韓国:
日本とほぼ同じ道を歩みました。以前は分離していましたが、判例(権利濫用)を経て、現在は裁判所での無効抗弁を認めています。
- UPC(欧州統一特許裁判所):
最近始まったヨーロッパ全体の新しい裁判所。基本はワンストップ(無効も扱える)ですが、裁判官の裁量で分離(ドイツ型)することもできる、というハイブリッドな仕組みです。
まとめ:日本は「いいとこ取り」をした
こうして見ると、日本の特許法第104条の3の立ち位置がよくわかります。
| アメリカ | ドイツ | 日本(現在) | |
| 無効の主張 | 裁判でOK | NG(別の裁判所へ行け) | 裁判でOK(104条の3) |
| 裁判所の権限 | 特許を消せる | 消せない | 消せないが、使わせない |
| システム | 完全ワンストップ | ダブルトラック(分離) | 機能的ワンストップ |
日本は、法体系的にはドイツ(大陸法)をベースにしているため、「行政処分(特許)を取り消せるのは行政庁(特許庁)だけ」という建前があります。その建前を守りつつ、実質的にはアメリカのような「裁判での迅速な解決」を実現するためにひねり出された天才的な発明が、第104条の3(無効の抗弁)だったのです。
「アメリカほど過激じゃないけど、ドイツほど不便じゃない」
この絶妙なバランスが、現在の日本の特許訴訟システムです。
質問:TIはアメリカの特許法をよくわかっているだろうから、日本の特許法の不備を突いて、吹っ掛けたわけ?
Gemini:TI(テキサス・インスツルメンツ)は、単に技術力が高いだけでなく、「世界一、知財法と裁判制度のハック(攻略)に長けた会社」でした。彼らは、アメリカの法制度(司法が強い)と日本の法制度(行政が強い)の違いを完全に理解した上で、「当時の日本の特許法のバグ(不備)」を冷徹に突きまくりました。具体的に、彼らが「日本の法のどこを突いて吹っ掛けたのか」、その手口を解説します。
【手口解説】TIはどうやって日本の特許法の「穴」を突いたのか?
TIが突いた日本の「不備」は、主に以下の2点です。
1. 「裁判所が無効と言えない」という最大のバグ
これこそが、今回議論してきた「キルビー判決以前の最大の弱点」です。
- アメリカでの戦い方:
もしTIがアメリカで同じような「ボロボロの特許」で訴えたら、アメリカの裁判所は「こんなの進歩性ないから無効(Invalid)! 訴え却下!」と即座に判決を下せます。だから、TIにとってもアメリカで無理筋な訴訟を起こすのはリスクがありました(特許が死ぬから)。
- 日本での戦い方(TIの狙い目):
当時の日本の裁判所は「特許庁が消すまでは有効」というルールに縛られていました。TIはこう考えたはずです。
「日本の裁判所は、特許が無効だとわかっていても、自分でそれを宣言できない。
だったら、特許庁での無効審判(数年かかる)が決着するまでの間、裁判所では『形式的には有効』という扱いになる。
その間に『差止仮処分』などをチラつかせて脅せば、日本企業はビビって金を払うだろう」
まさに「制度の空白地帯」を悪用したハメ技です。
2. 「サブマリン特許」を許す審査制度の遅さ
日本の特許庁は、かつて「審査が世界一遅い」と言われていました。TIはこれも利用しました。
- サブマリン(潜水艦)戦法: 1960年に出願した特許を、わざと分割出願などを繰り返して、審査を遅らせ、権利化を先延ばしにするテクニックです。
- 日本の不備: 当時の日本には、特許期間の計算方法や分割出願のルールに甘さがあり、**「20~30年前の技術を、今ごろになって新品の特許として成立させる」**ことが容易にできてしまいました。(※現在は法改正で対策済みです)
TIは、日本の半導体産業が成熟して儲かりまくっている1986年というタイミングを見計らって、この「1960年の特許」を浮上(成立)させました。
TIの言い分: 「おっと、たった今特許が成立したよ。君たちが作ってるその半導体、この特許の範囲内だから。過去の分も含めて払ってね」
これは完全に「法の抜け穴」を使った待ち伏せ攻撃でした。
3. 「エクイティ(衡平法)」の欠如
ここが法律文化の決定的な違いです。
- アメリカ(コモン・ロー): 条文になくても、**「エクイティ(公平・正義)」という概念があり、裁判官が「法的には合ってるけど、それやるのはズルいよね(アンフェアだよね)」と思えば、「不潔な手(Unclean Hands)」**の法理などで請求を棄却できます。
- 日本(大陸法): 「条文に書いてあることが全て」。
キルビー判決が出るまでは、条文に「濫用してはいけない」と明確に書いていなかった(民法の一般原則しかなかった)ため、「形式的にルール通りなら、どんなにズルくても権利は権利」という運用がまかり通っていました。
TIは、この「日本人の生真面目さ(条文絶対主義)」を逆手に取り、「ルール通りにやってますけど何か?」という顔で攻めてきたのです。
結論:TIは「法のバグ」を突いたハッカーだった
TIは、「無効な特許でも、裁判所が手を出せない」という当時の日本の構造的欠陥(セキュリティホール)を正確に把握し、そこに「サブマリン特許」というウイルスを送り込んで、日本企業から巨額のライセンス料を吸い上げました。だからこそ、追いつめられた富士通と最高裁は、「もう条文とか理屈とか言ってる場合じゃない! これは正義に反する!」として、「権利濫用(キルビー判決)」というウルトラCで、そのセキュリティホールを強制的に塞いだのです。TIの攻撃があったからこそ、日本の特許法は「平和ボケ」から目覚め、現在の強固なシステムへとアップデートされたとも言えます。
質問: 「TIは、日本の半導体産業が成熟して儲かりまくっている1986年というタイミングを見計らって、この「1960年の特許」を浮上(成立)させました。」って、これが意図的なサブマリン特許だったっていう、客観的な資料ってある?
Gemini:「TIが意図的に隠していた(サブマリンだった)」という内心の意図を記した社内メモのようなものが公開されているわけではありません。しかし、「客観的な事実(出願の履歴)」そのものが、これがサブマリン特許(意図的な分割出願による延命)であったことの動かぬ証拠として、多くの法学書や論文で引用されています。
1. 特許公報・経過情報の記録(一次資料)
最も客観的な証拠は、特許庁に残っている「出願の系譜(タイムライン)」そのものです。これを見れば、「普通の手続きではありえない操作」が行われたことが一目瞭然です。
-
特許番号: 特許第320275号(いわゆるキルビー275特許)
-
親出願の日: 1960年(昭和35年)2月6日
-
本特許の出願日: 1986年(昭和61年)7月18日
-
登録日: 1989年(平成元年)10月30日
【客観的な事実】この特許は、1960年の親出願から、「分割出願」という手続きを繰り返すことで、出願係属状態(審査が終わっていない状態)を26年間も維持し、1986年になってから突如として新たな分割出願として提出されました。この「1986年に分割出願を行った」という行為自体が、当時隆盛を極めていた日本半導体市場への権利行使を可能にするための戦略的アクションであったことの状況証拠とされています。
引用の仕方(例):
特許庁「特許第320275号 公報」およびその経過情報(J-PlatPat等で確認可能)。1960年の出願から分割を繰り返し、1986年に出願、1989年に設定登録されている。
2. 最高裁判決文の記述(一次資料)
2000年のキルビー判決文の中でも、この「異常な遅延」について触れられています。裁判所は「意図的だ」と断罪こそしませんでしたが、「長期間放置されていたこと」が権利濫用の認定の根拠になっています。
-
事件番号: 最高裁判所 平成10年(オ)第364号 損害賠償請求上告事件
-
判決日: 平成12年4月11日
【判決文での言及(要約)】
判決では、本件特許が「昭和35年の出願当初の明細書には開示されていなかった技術を、その後の技術進歩を取り込んで含めるように解釈しようとしている」点や、「出願から長期間経過後に権利化されたものである」という事実を認定しています。最高裁判所 平成10年(オ)第364号 判決文で裁判所は、本件特許が1960年の出願から長期間を経て登録された事実を踏まえ、既に公知となった技術に対する権利行使を権利の濫用と認定しました。
3. 知財法学の権威による解説(二次資料)
専門家の解説書や論文を引用するのが最も書きやすいでしょう。日本の知財法の最高権威である中山信弘先生などの書籍では、この件を典型的な「サブマリン特許」の問題事例として扱っています。
【おすすめの文献】
-
文献1:『特許法』(中山信弘 著)
-
日本の知財法学のスタンダードな教科書です。「権利の濫用(104条の3)」の解説部分で、キルビー事件を取り上げ、「分割出願制度を利用して、長期間審査を係属させ…」といった記述や解説があります。
-
-
文献2:『知的財産法政策学概論』(田村善之 著)など
-
法政策の観点から、「なぜこのようなサブマリン特許が可能だったのか(当時の制度の不備)」と「TIの戦略」について分析されています。
-
【補足】「意図的」かどうかについての注釈
「すべてがTIの悪意だったわけではない(制度の欠陥)」
当時の日本の特許制度には、「付与前異議申立制度」というものがありました。これは「特許になりそうだよ」と公告された段階で、ライバル企業が「待った!」をかけられる制度です。
-
TIが出願する。
-
日本のメーカーが一斉に「異議申立」をして妨害する。
-
審査がストップし、何年も遅れる。
-
その間にTIは「分割出願」をして、別の特許として生き残らせる。
このように、「日本企業の徹底的な異議申立による遅延」と「TIの粘り強い分割出願戦略」の相乗効果(泥仕合)によって、結果として30年近い空白が生まれた、という側面もあります。(TIからすれば「日本が特許を認めるのを遅らせたからだ」という言い分もあり、日本からすれば「TIが分割で逃げ回った」という言い分になります)結論として、「TIが1986年を狙いすまして浮上させた」という記述を裏付けるには、「特許第320275号の出願日が1986年7月18日(原出願1960年)であること」という公報の事実が最も客観的です。