ペラグラ撲滅の歴史的経緯

Gemini Deep Research

ペラグラの克服:社会的災厄から公衆衛生の勝利へ

序論:4つのDの疫病

20世紀初頭のアメリカ南部を席巻したペラグラは、単なる病気ではなく、地域社会を蝕む恐怖そのものでした。医師を困惑させ、コミュニティを荒廃させたこの病は、その恐ろしい臨床的特徴から「4つのDの疫病」として知られていました 1。その4つとは、

皮膚炎(Dermatitis)下痢(Diarrhea)認知症(Dementia)、そして最終的に訪れる**死(Death)**です 3

ペラグラの兆候は、まず日光に晒される皮膚に現れました。首、手、足に現れる対称的な発疹は、当初は日焼けと見間違われることもありましたが、やがて皮膚は赤く腫れ上がり、鱗のように剥がれ落ち、水疱や痂皮を形成しました 1。特に首周りに現れる特徴的な発疹は、その発見者にちなんで「カサルの首飾り(Casal’s collar)」と呼ばれ、この病気の紛れもない証となりました 4。しかし、苦しみは皮膚だけに留まりませんでした。患者は絶え間ない下痢と消化器系の不調に悩まされ、口内炎と真っ赤に腫れた舌(牛舌炎)は食事を困難にし、さらなる栄養失調を招きました 1

最も悲劇的だったのは、精神への影響でした。初期のうつ状態や不安、集中力の低下は、やがて錯乱、幻覚、そして完全な認知症へと進行しました 1。多くの患者が精神病院に収容され、狂気への恐怖から自ら命を絶つ者もいました 1。この病気は患者から人間性を奪い、社会的な烙印を押しました。感染を恐れた隣人から見放され、家族は孤立無援の状態に追いやられたのです 1

その規模は驚異的でした。1906年から1940年にかけて、アメリカでは推定300万人がペラグラに罹患し、そのうち10万人が命を落としました 1。1928年から1929年のピーク時には、南部の一部の州では事故を除く死因の第8位または第9位を占めるほどでした 8

本報告書は、このペラグラという謎に満ちた病が、いかにしてその正体を暴かれ、最終的に撲滅されるに至ったかの軌跡を辿るものです。それは、広く信じられていた感染症説が覆され、病の根源が深刻な社会的・経済的機能不全にあることが明らかにされるまでの、科学的探求と社会的闘争の物語です。

表1:ペラグラ克服の年表

年代 主要な出来事 関係者・機関
1735年 スペインの医師ガスパール・カサルが、アストゥリアスの農民の間で「mal de la rosa」(ペラグラ)を初めて記述し、貧困と食生活との関連を示唆 2 ガスパール・カサル
19世紀後半 イタリアの犯罪学者チェーザレ・ロンブローゾが、ペラグラは腐敗したトウモロコシに含まれる毒素が原因であるとする「トウモロコシ中毒説」を提唱 2 チェーザレ・ロンブローゾ
1906年-1909年 アメリカ南部、特に精神病院や貧困地域でペラグラの集団発生が公式に認識される 1 ジョージ・H・サーシー医師
1912年-1913年 トンプソン・マクファデン委員会が、ペラグラは衛生状態の悪さによって広がる感染症であると結論付け、当時の医学界の定説を強化 1 トンプソン・マクファデン委員会
1914年 米国公衆衛生局のジョセフ・ゴールドバーガー医師が、ペラグラの流行調査を命じられる 2 ジョセフ・ゴールドバーガー
1915年 ゴールドバーガーがミシシッピ州の孤児院とランキン刑務農場で決定的な食事実験を行い、ペラグラが栄養欠乏症であることを証明 13 ジョセフ・ゴールドバーガー
1916年 ゴールドバーガーが感染症説を否定するため、自らとボランティアが患者の排泄物などを摂取する「不潔パーティー」を実施。しかし、彼の発見は広く拒絶される 1 ジョセフ・ゴールドバーガー
1926年 ゴールドバーガーが、ビール酵母がペラグラを予防・治療することを発見し、未知の栄養素を「ペラグラ予防(P-P)因子」と命名 5 ジョセフ・ゴールドバーガー
1929年 ゴールドバーガーが癌で死去。彼の疫学的な結論は確立されたものの、P-P因子の特定には至らなかった 2 ジョセフ・ゴールドバーガー
1937年 ウィスコンシン大学のコンラッド・エルヴェヘムが、ニコチン酸(ナイアシン、ビタミンB3​)を単離し、それがP-P因子であることを証明 5 コンラッド・エルヴェヘム
1930年代後半-1940年代 小麦粉、パン、コーンミールへのナイアシン添加(栄養強化)が、任意で始まり、その後州法によって義務化される 22 米国政府、州政府
1950年まで 栄養強化政策と経済状況の改善により、アメリカ合衆国において流行病としてのペラグラが事実上撲滅される 8

 

第1章:完璧な嵐:流行の起源

1.1. ヨーロッパでの前兆:トウモロコシの影

ペラグラの物語は、18世紀のスペインで始まります。1735年、医師ガスパール・カサルは、アストゥリアス地方の貧しい農民たちの間に広がる奇妙な病に気づきました。地元で「mal de la rosa(薔薇の病)」と呼ばれるその病は、特徴的な皮膚の発疹を示し、カサルはこれを貧困と偏った食生活に正しく関連付けました 2。この病はその後、トウモロコシが貧農の主食として普及するにつれて、イタリアやフランスなどヨーロッパ各地に広がっていきました 5。イタリア語で「荒れた皮膚」を意味する「ペラグラ」という名前が付けられたのは、この病の最も目立つ症状が皮膚炎であったことを示しています 27

1.2. アメリカ南部:病の温床

ヨーロッパでの散発的な発生とは異なり、20世紀初頭のアメリカ南部では、ペラグラは爆発的な流行を見せました。その背景には、この地域特有の社会経済的条件が複雑に絡み合っていました。

経済的要因:南北戦争後の南部経済は、換金作物である綿花の単一栽培(モノカルチャー)に極度に依存していました 1。これにより、多様な食料作物を栽培する土地が失われ、地域住民の食料安全保障は著しく低下しました 28。さらに、小作農制度や分益小作制度は、黒人だけでなく多くの白人農民をも借金の連鎖に縛り付け、貧困から抜け出すことを不可能にしていました 29

食生活への影響:この貧困は、栄養価の低い単調な食事、いわゆる「3つのM」への依存を余儀なくさせました。その3つとは、ミール(Meal、コーンミール)ミート(Meat、塩漬けの豚脂身)、そして**モラセス(Molasses、糖蜜)**です 1。この食事は、ペラグラ予防に不可欠な栄養素が決定的に不足していました 3

技術的触媒:この状況をさらに悪化させたのが、20世紀初頭に普及した新しい製粉技術でした。ボール式脱胚機(Beall degerminator)のような産業用製粉機は、保存性を高めるためにトウモロコシの胚芽や外皮を取り除き、精製されたコーンミールを大量生産しました 2。皮肉なことに、この胚芽や外皮には、わずかに含まれていたペラグラ予防因子(後のナイアシン)が存在しており、この技術的「進歩」は、ただでさえ栄養価の低い食料を、病気を引き起こす原因物質へと変えてしまったのです 2

1.3. 細菌学説の支配:見当違いの説明

ペラグラが南部で猛威を振るい始めた当時、医学界はルイ・パスツールやロベルト・コッホの発見に端を発する細菌学革命の真っ只中にありました。この時代背景が、ペラグラの原因究明を大きく誤った方向へと導きました。

中毒説:イタリアの著名な犯罪学者チェーザレ・ロンブローゾが提唱したこの説は、ペラグラの原因を腐敗したトウモロコシに発生する真菌が産生する毒素(ペラグラツェイン)にあるとしました 2。この説は、病気とトウモロコシの消費を正しく結びつけていたため、一定の説得力を持っていました。

感染症説:しかし、最も有力視されたのは感染症説でした。19世紀末以降、結核菌をはじめとする病原微生物が次々と発見され、医学界はあらゆる流行病の原因を感染に求める傾向が強まっていました 3。春になると周期的に発生し、特定の地域に集中するというペラグラの疫学的特徴は、感染症のそれと酷似していました 1。1912年から1913年にかけて調査を行ったトンプソン・マクファデン委員会や、昆虫が媒介すると考えたルイ・サンボンのような研究者たちは、ペラグラは不衛生な環境や未知の病原体によって引き起こされる感染症であると結論付けました 1。これは当時の医学界の常識となり、真の原因の発見を30年以上も遅らせることになったのです。

この一連の出来事は、ペラグラの流行が単なる医学的な問題ではなく、生物学的脆弱性(未処理のトウモロコシにおけるナイアシンとトリプトファンの欠乏)、特定の食事を強いる社会経済システム(綿花モノカルチャー)、そして食料供給をさらに悪化させた技術革新(産業製粉)という、複数の要因が収斂して発生した複雑な生物社会学的現象であったことを示しています。初期の科学的失敗もまた、ランダムな誤りではなく、当時の支配的な科学的パラダイムによって形成されたものでした。細菌学説の成功は、未知の病原体という「存在する何か」を探すという認知バイアスを生み出し、栄養素の「欠如」という新しい概念を受け入れることを困難にしました。当時の科学者にとって、何かが「ない」ことによってこれほど壊滅的な病気が引き起こされるという考えは、「途方もない」ものに思えたのです 3

第2章:新たな探求の糸口:ジョセフ・ゴールドバーガーの疫学調査

2.1. 新たな視点

1914年、アメリカ南部でペラグラの惨状が深刻化する中、米国公衆衛生局は一人の疫学者にその謎の解明を託しました。その人物こそ、黄熱病や発疹チフスといった感染症との闘いで輝かしい実績を上げていたジョセフ・ゴールドバーガー医師でした 1。公衆衛生局長官は、彼をこの困難な任務に任命しました 2。ゴールドバーガーのアプローチは、先行する研究者たちとは一線を画していました。彼は実験室に籠もるのではなく、病気が発生している現場、すなわち南部各地のコミュニティへと赴き、そのパターンを丹念に観察することから始めたのです 6

2.2. 精神病院と孤児院が示した手がかり

ゴールドバーガーは、ペラグラの発生率が特に高い精神病院、孤児院、刑務所といった施設に調査の焦点を絞りました 8。そこで彼は、これまで誰もが見過ごしてきた、単純でありながら極めて重要な事実に気づきます。それは、病気が入所者や孤児たちには蔓延している一方で、彼らと密接に接触して働く医師、看護師、職員には

誰一人として発症していないという事実でした 11

さらに、孤児院での観察は、より具体的な手がかりをもたらしました。ペラグラは、6歳未満の幼児と12歳以上の年長の子供たちにはほとんど見られず、7歳から11歳までの特定の年齢層に集中して発症していたのです 11

これらの観察結果は、当時主流であった感染症説と真っ向から対立するものでした。もし未知の病原体が原因であるならば、同じ環境で生活し、患者と日々接触している職員が発症しないことを説明できません。また、特定の年齢層だけを選択的に攻撃する病原体というのも考えにくいことでした 13

2.3. 食事仮説の誕生

ゴールドバーガーは、この不可解なパターンを説明できる唯一の変数は「食事」であると推論しました。職員たちは、入所者とは異なり、多様で栄養価の高い食事を摂っていました 13。孤児院では、調査の結果、最も幼い子供たちは牛乳を与えられ、年長の子供たちは肉を食事に加えられていましたが、ちょうどペラグラが多発している7歳から11歳の子供たちには、そのどちらも与えられていなかったことが判明しました 11

この発見に基づき、ゴールドバーガーは調査開始からわずか数ヶ月で、ペラグラは伝染病ではなく、新鮮な動物性食品や豆類などのタンパク質が不足した食事によって引き起こされる栄養欠乏症である、という大胆な仮説を打ち立てました 6

ゴールドバーガーの天才性は、複雑な実験装置や最新の検査技術にあったわけではありません。それは、古典的な疫学の力、すなわち、鋭い観察、パターンの認識、そして厳密な論理的推論にありました。彼は、病気になった人々だけでなく、病気にならなかった人々、つまり「誰が、なぜ罹患を免れているのか」という疫学的な問いに焦点を当てることで、謎の核心に迫ったのです。施設の職員たちは、期せずして完璧な対照群(コントロールグループ)として機能しました。彼らは入所者と同じ物理的環境を共有しながら、唯一「食事」という変数が異なっていました。彼らが免疫を持っていた理由は、衛生観念や遺伝的耐性ではなく、その食事内容にあると考えるのが最も合理的でした。この視点の転換こそが、ペラグラ研究における決定的なブレークスルーとなったのです。

第3章:歓迎されざる真実:ゴールドバーガーの決定的かつ物議を醸した実験

ゴールドバーガーは、自らの食事仮説を証明するため、一連の画期的な実験に着手しました。その手法は、現代の因果関係確立の基準にも通じる、厳格かつ多段階の論理に基づいています。すなわち、(1) ある因子を加えることで病気がなくなることを示し(予防・治療実験)、(2) その因子を取り除くことで病気が発生することを示し(誘発実験)、(3) 代替的な原因が不可能であることを示す(反証実験)というものでした。

3.1. 予防と治療の証明:孤児院での研究

最初のステップとして、ゴールドバーガーは食事介入による予防・治療効果を実証しました。彼はペラグラが蔓延していたミシシッピ州の2つの孤児院で、子供たちの食事に牛乳、卵、豆、肉などを加え、トウモロコシの摂取量を減らすという介入を行いました 11

その結果は劇的でした。1年後、これらの孤児院からペラグラはほぼ一掃されたのです。追跡調査された数百人の子供たちのうち、再発したのはわずか1例のみでした。これは、同様の施設で予想される50%以上の再発率とは対照的な結果でした 13。彼はジョージア州の精神病院でも同様の成功を収め、食事改善がペラグラに対する有効な予防・治療法であることを明確に示しました 13

3.2. ランキン刑務農場実験:ペラグラの誘発

しかし、仮説を反論の余地なく証明するためには、より決定的な証拠が必要でした。ゴールドバーガーは、健康な人間に食事制限のみでペラグラを「誘発」させるという、当時としては過激で、倫理的に大きな問題をはらむ実験を計画しました 12

彼はミシシッピ州知事の協力を得て、ランキン刑務農場の健康な白人男性受刑者の中から12人のボランティアを募りました。彼らは実験への参加と引き換えに、恩赦を約束されました 14

「ペラグラ部隊」と名付けられた彼らは、数ヶ月にわたり、南部の貧しい人々の食事を模した制限食(ビスケット、グリッツ、コーンブレッド、シロップ、豚の脂身など)のみを与えられました 1。対照群である他の受刑者たちは、農場の通常食を食べ続けました 15

実験開始から6ヶ月後、残った11人のボランティアのうち6人が、紛れもないペラグラの症状(特徴的な皮膚炎など)を発症しました 1。一方、対照群には一人の発症者も出ませんでした。その後、発症したボランティアたちはバランスの取れた食事を与えられ、速やかに回復しました 15。この実験は、食事がペラグラの唯一かつ十分な原因であることを決定的に証明しました。

このランキン刑務農場での実験は、医学研究における倫理的な緊張関係を浮き彫りにします。科学的には決定的であった一方で、恩赦という報酬を用いて脆弱な立場にある被験者(受刑者)に深刻な病気を人為的に引き起こすという手法は、現代の倫理基準では到底許されるものではありません 16。被験者の一人が「千の地獄を経験した」と語ったように、この実験は被験者に多大な苦痛を与えました 17。この出来事は、科学的真理の探求という目的が、倫理的に問題のある手段を正当化しうるのかという、今日まで続く重い問いを投げかけています。

3.3. 「不潔パーティー」:感染症説へのとどめ

これほど強力な証拠を突きつけられてもなお、感染症説の支持者たちは自説を曲げませんでした 17。批判者を沈黙させるため、ゴールドバーガーは1916年、自らの信念を文字通り体現する、常軌を逸したデモンストレーションを敢行しました。後に「不潔パーティー(filth parties)」として知られるようになったこの実験で、彼は妻のメアリーを含む15人のボランティアと共に、ペラグラに「感染」することを試みたのです 16

彼らはペラグラ患者の血液を自らの腕に注射し、鼻の粘膜に患者の鼻腔分泌物を塗りつけ、さらには急性期の患者の皮膚の鱗屑、尿、糞便を混ぜて作った錠剤を飲み込みました 1

参加者の中には吐き気を催す者もいましたが、誰一人としてペラグラを発症することはありませんでした 6。この常識外れの行為は、ペラグラが人から人へ伝染する病気ではないことを、これ以上ないほど雄弁に、そして衝撃的に証明したのです。

第4章:科学対社会:食事説への激しい抵抗

4.1. 歓迎されざる診断

ゴールドバーガーによる厳密な証明にもかかわらず、彼の発見は、特に南部の政治家、新聞、そして多くの医師たちから、広範な抵抗と否定に遭いました 1。この抵抗の根源は、科学的なものではなく、社会・政治的なものでした。

ゴールドバーガーの理論は、南部経済と社会構造そのものへの痛烈な告発でした。彼の発見が意味するところは、ペラグラが単なる病気ではなく、綿花産業を支える低賃金と搾取的な土地所有制度によって生み出された「貧困の病」であるということでした 1。これは、南部の指導者たちが築き上げてきた社会秩序の根幹を揺るがす、極めて不都合な真実だったのです。

4.2. 病原菌という逃げ道

対照的に、感染症説は社会的に遥かに受け入れやすい説明でした。病原菌は、政治とは無関係な外部からの侵略者であり、困難な社会改革や経済改革を必要とせず、衛生改善や医療によって戦うことができる対象です 22。病原菌のせいにすれば社会の責任は問われませんが、食事と貧困のせいにすれば、その責任は地域の指導者と経済システムに直接向けられます 12。ゴールドバーガーの研究後も、トンプソン・マクファデン委員会がかつて下した「ペラグラは不衛生が原因の感染症である」という結論が繰り返し主張されたことは、この「好ましい物語」への固執を物語っています 16

このペラグラを巡る論争は、科学的な「事実」がいかに社会的・政治的なフィルターを通して解釈されるかを示す典型例です。それは、生物学的な説明(病原菌)と社会経済的な説明(貧困)との間の対立でした。ゴールドバーガーへの抵抗は、科学的懐疑心からではなく、既存の社会秩序と経済的利益を守ろうとする動機から生じていたのです。

4.3. 提唱者としてのゴールドバーガー

抵抗に業を煮やしたゴールドバーガーは、単なる科学者から、社会改革を訴える情熱的な提唱者へと変貌を遂げていきました。彼は、ペラグラの根本的な治療法は、食事の改善だけではなく、より高い賃金、土地改革、そして綿花からの農業の多角化といった経済的正義にあると公然と主張しました 1

この主張は、南部の指導者たちをさらに激怒させ、彼らはゴールドバーガーを自分たちの生活様式を批判する「おせっかいな北部人」と見なしました 1。彼は統計学者のエドガー・サイデンストリッカーと協力し、世帯収入とペラグラの発生率との間に明確な負の相関関係があることを統計的に証明し、自らの社会批判に揺るぎない量的根拠を与えました 10

ゴールドバーガーのキャリアは、公衆衛生の専門家が、純粋な科学者から社会的な提唱者へと進化せざるを得ない必然性を示しています。彼は、病気の原因を特定するだけでは不十分であり、それを撲滅するためには、その根本にある社会的・経済的な原因を攻撃しなければならないことを悟ったのです。貧しい人々に「もっと良いものを食べなさい」と助言することが無意味であるのは、彼らがそれを買う余裕がないからです 3。綿花の価格が暴落するとペラグラ患者が急増するという観察は、病気と経済状況を直接結びつけました 1。この認識が、彼を医学的助言の枠を超え、持続可能な「治療法」としての体系的な経済変革を提唱する道へと駆り立てたのです。彼の物語は、貧困に根差した病は、処方箋だけでは治療できないという、公衆衛生における普遍的な教訓を我々に教えてくれます。

第5章:最後の謎:P-P因子の特定

5.1. 失われた栄養素の探求

ゴールドバーガーは、ペラグラが食事に起因することを証明しましたが、その原因となっている特定の栄養素を突き止めるには至りませんでした。彼は人生の最後の15年間を、自らが「ペラグラ予防(Pellagra-Preventative)」因子、略して「P-P因子」と名付けたこの未知の物質の特定に捧げました 11

彼は、ペラグラの犬版ともいえる「黒舌病」を発症する犬を用いた動物実験を行いました 5。その過程で、安価でP-P因子を豊富に含む供給源としてビール酵母を発見し、赤十字社を通じて配布しました。この試みは劇的な効果を上げましたが、人々が施しを受けることへの抵抗感やスティグマを感じたため、その効果は一時的なものに留まりました 2。P-P因子の化学構造を解明するという目標を達成できないまま、ゴールドバーガーは1929年に癌でこの世を去りました 2

5.2. ブレークスルー:エルヴェヘムとナイアシン

謎の最後のピースは、実験室で発見されました。1937年、ウィスコンシン大学の生化学者コンラッド・エルヴェヘムは、ゴールドバーガーの研究を引き継ぎ、肝臓の抽出物から特定の化合物を単離することに成功しました 5。彼は、この化合物、すなわちニコチン酸が、犬の黒舌病を治癒させることを実証しました 12

その後まもなく、トム・スパイス医師らによる研究で、ニコチン酸が人間のペラグラにも有効であることが確認されました 5。この化合物は、タバコのニコチンとの混同を避けるため、「

ナイアシン(Niacin)」と改名されました(nicotinic acid vitaminに由来)26。こうして、分子レベルでペラグラの謎は完全に解明されたのです。

5.3. 生化学的背景:トリプトファンとニシュタマリゼーション

さらなる研究により、物語はより一層深みを増しました。体は、必須アミノ酸であるトリプトファンからナイアシンを合成できることが明らかになったのです 5。トリプトファンは、肉、牛乳、卵といったタンパク質が豊富な食品に多く含まれています 40。これは、なぜゴールドバーガーが示したように、これらの食品が豊富な食事がペラグラを予防するのかを説明するものでした。重要なのは食品中のナイアシンだけでなく、その前駆体であるトリプトファンでもあったのです。

この発見は、歴史上の大きな謎も解き明かしました。なぜ、トウモロコシを主食としてきた伝統的なメソアメリカの文化圏では、ペラグラが流行しなかったのでしょうか 5。その答えは、

ニシュタマリゼーションと呼ばれる古代からの調理法にありました 5。これは、トウモロコシを石灰水などのアルカリ溶液で浸漬・調理する処理法です。このアルカリ処理によって、トウモロコシに含まれる結合型のナイアシンが遊離し、体内で吸収可能な形(生物学的に利用可能な形)に変わるのです 5。トウモロコシがヨーロッパや世界各地に伝播した際、この極めて重要な伝統的知識と加工技術が失われたことが、悲劇の始まりでした。

ペラグラの解決は、異なる科学分野間の協調がいかに重要であるかを示しています。ゴールドバーガーの疫学調査は、原因の範囲を無数の可能性から「食事」という一つの因子に絞り込み、生化学者たちに明確な標的を与えました 2。一方、エルヴェヘムの生化学的研究は、安価に大量生産可能な特定の分子(ナイアシン)を特定し、栄養強化という大規模な公衆衛生介入を可能にしました 26。これは、現場での広範な観察(疫学)から、実験室での精密な特定(生化学)を経て、社会規模での応用へと至る、科学的探求の理想的なプロセスを体現しています。

また、ニシュタマリゼーションの役割の発見は、ペラグラの流行が、ある意味で「脱文脈化」の病であったことを明らかにしました。トウモロコシという食料(ハードウェア)が、それを安全に利用するための伝統的知識(ソフトウェア)なしに他の文化圏へ移植された結果、この疫病は発生したのです。これは、伝統的な食文化に埋め込まれた深い知恵を再認識させるとともに、技術や産物を文化的な文脈から切り離して導入することの危険性を示唆しています。

第6章:撲滅:公衆衛生政策の勝利

6.1. 食品栄養強化の台頭

1937年のナイアシンの特定は、公衆衛生分野に明確で実行可能な解決策をもたらしました。もはや「より良い食事を」という曖昧な呼びかけではなく、安価な化学物質を添加するという具体的な介入が可能になったのです。

1930年代後半から、特に第二次世界大戦中の軍の徴兵対象者の栄養状態への懸念を背景に、主要な食品を栄養強化する大規模な公衆衛生イニシアチブが開始されました 22。製パン業者は、自主的にパンにナイアシンや他のビタミンB群を添加し始めました 22。1943年には、戦時食糧令により、州をまたいで販売される全ての小麦粉とパンの栄養強化が義務付けられました 23

決定的に重要だったのは、南部を中心とする各州が、小麦粉だけでなく、ペラグラを引き起こす食事の中心であったコーンミールやグリッツの栄養強化を義務付ける法律を次々と制定したことです 9

6.2. ニューディール政策と経済変化の影響

食品の栄養強化がペラグラ撲滅の直接的なメカニズムであった一方で、1930年代から40年代にかけての南部における広範な経済変化が、栄養状態改善の土壌を育みました。

フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策、特にテネシー川流域開発公社(TVA)のようなプログラムは、貧困にあえぐ南部に経済開発、インフラ整備、農業改革をもたらしました 44。また、農産物価格の安定化を目指す農業政策や、ワタミゾウムシ(boll weevil)による綿花への壊滅的な被害は、農家が綿花の単一栽培から脱却し、食料作物を栽培するインセンティブとなりました。これにより、地域で栄養価の高い食品がより多く手に入るようになったのです 28。さらに、連邦政府による学校給食プログラムも、地域の子供たちの栄養改善に貢献しました 42

6.3. 流行の終焉

的を絞った食品栄養強化と全般的な経済改善の組み合わせは、驚くべき効果を発揮しました。1930年代に減少し始めていたペラグラによる死亡率と罹患率は、栄養強化法が施行された後に急降下しました 9

そして1950年代までには、かつて南部を恐怖に陥れた流行病としてのペラグラは、アメリカ合衆国から事実上姿を消しました。これは、公衆衛生史上、最も輝かしい成果の一つとして記録されています 1

この成功物語は、「受動的」な公衆衛生介入の力を明確に示しています。ゴールドバーガーのビール酵母配布プログラムのように、個人の行動変容に依存する「能動的」な介入は、スティグマや継続性の問題から失敗に終わりました 37。対照的に、食品栄養強化は、人々が特別な努力をすることなく、既存の食生活の中で自動的に栄養素を摂取できるようにする「受動的」な介入です。人々はコーンブレッドを食べ続けましたが、そのコーンブレッドはもはや病気の原因ではなく、予防の手段となっていたのです 22。これは、特に社会経済的に制約のある人々に対しては、個人の行動を変えさせようとするよりも、環境(この場合は食料供給)そのものを変える方が、より効果的で公平な公衆衛生戦略であることを示唆しています。

ペラグラに対する最終的な勝利は、単一の「魔法の弾丸」によるものではなく、二方面からの攻撃の結果でした。一つは、栄養強化という直接的な生化学的介入。もう一つは、ニューディール政策や農業の多角化といった、間接的な社会経済的介入です。前者は即効性のある対症療法であり、後者は貧困と食の多様性の欠如という根本原因に対処する持続可能な解決策でした。最も強固な公衆衛生上の勝利は、的を絞った医学的・栄養学的介入が、所得、食料安全保障、教育といった、より広範な健康の社会的決定要因の改善と組み合わさったときに達成されるのです。

結論:克服された病からの教訓

「4つのD」の恐怖から、医学的謎の解明、そして公衆衛生の輝かしい勝利へ。ペラグラ克服の物語は、誤った初期の学説、ゴールドバーガーによる卓越した疫学的探求、激しい社会的抵抗、エルヴェヘムによる生化学的ブレークスルー、そして食品栄養強化という決定的な政策行動という、壮大な道のりを経て完結しました。

この物語は、我々に数多くの不朽の教訓を残しています。それは、科学と社会の重要な相互作用、疫学という学問の力、研究に伴う倫理的な複雑さ、そして何よりも、人々の健康が経済状況や社会的公正と分かちがたく結びついているという根本的な真実です。

先進国においてペラグラが流行病として語られることはなくなりましたが、この病が地球上から完全に根絶されたわけではありません。今日でも、極度の貧困、難民危機、あるいはアルコール依存症や吸収不良症候群による重度の栄養失調といった状況下で、ペラグラは依然として発生しています 1。ペラグラは、人間の食生活が破綻したときに必ず現れる「警報」のような存在であり続けています。その克服の物語から得られた教訓は、一世紀を経た今もなお、その重要性を失っていないのです。

Works cited

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