大学病院における臨床研究:「労働」と「自己研鑽」のはざま

大学の医局における「自己研鑽」とは、表向きは医師が自らのスキルアップや知識向上のために、自発的に行う勉強や研究活動を指します。しかし、現実には「労働」と明確に区別されず、事実上の時間外労働や無給労働の温床になっているケースが少なくありません。

ここでは、その実態を建前なしで解説します。


自己研鑽と労働の「建前」上の違い

まず、厚生労働省などが示す原則的な違いは**「指揮命令下にあるかどうか」**です。

  • 労働: 上司(教授や指導医など)の指示に基づき、場所や時間が拘束され、断ることができない業務。当然、給与支払いの対象となります。具体的には、診療、手術、カンファレンスの準備、カルテ記載などが該当します。
  • 自己研聞: 完全に本人の自由意思で行う活動。上司からの強制がなく、いつ、どこで、何をするかが本人の裁量に委ねられているもの。そのため、労働時間とは見なされず、給与は支払われません。学会発表のためのデータ整理や論文執筆、手術手技の練習などがこれに当たるとされています。
労働 自己研鑽
指示の有無 あり(上司からの指揮命令) なし(個人の自由意思)
強制力 あり(断れない) なし(断れる)
給与 支払われる 支払われない

現場の「本音」とグレーゾーン

この原則は、大学病院の医局という特殊な環境では、ほとんど機能していないのが実情です。

なぜ境界が曖昧になるのか?

1. 断れない「お願い」や「雰囲気」

教授や上級医から「この症例について調べてまとめておいて」「学会発表の準備、進めておいてね」といった「お願い」をされた場合、若手医師がこれを「自己研鑽なのでやりません」と断ることは事実上不可能です。断れば、その後のキャリアや人間関係に深刻な影響が出かねません。これは実質的な指揮命令ですが、「君の勉強のためだから」という大義名分のもと、「自己研鑽」として処理されがちです。

2. やらなければ診療に支障が出る

「新しい手術手技の予習」や「担当患者の論文検索」は、表向きは個人のスキルアップ(自己研鑽)とされます。しかし、これを怠れば翌日の手術や治療が円滑に進まず、患者に不利益が生じる可能性があります。つまり、**診療を全うするために「やらざるを得ない」**状況にあり、自由意思とは到底言えません。

3. キャリア形成との引き換え

大学医局では、学位取得(博士号)や専門医資格の取得がキャリアパスに組み込まれています。そのために必要な研究、論文執筆、学会発表は、本来の診療業務とは別に膨大な時間を要します。これらは「君自身のキャリアのため」という名目で「自己研鑽」扱いされ、多くの場合、診療後の夜間や休日に行われますが、給与は発生しません。

具体的なグレーゾーンの例

  • カンファレンスのための資料作成: 上司の指示で作成するが、「発表の練習になる」という理由で自己研鑽とされる。
  • 論文執筆・データ整理: 教授の研究テーマの一部を手伝う形で、半ば強制的に割り当てられるが、筆頭著者にしてもらえれば「自己研鑽」とされる。
  • 手術の予習・ビデオでの復習: しなければ翌日の手術に参加させてもらえない雰囲気があるが、「個人の勉強」と見なされる。

医師の働き方改革の影響

2024年4月から始まった「医師の働き方改革」により、時間外労働の上限規制が導入されました。これに伴い、大学病院側は医師の労働時間を正確に把握する必要が出てきました。

しかし、これにより問題が解決したわけではありません。むしろ、時間外労働としてカウントできない業務を「自己研鑽」として処理する動きが加速するのではないか、という懸念が現場では強まっています。つまり、これまでグレーゾーンだった業務が、より巧妙に「自己研鑽」という名の無給労働に置き換えられる可能性があるのです。

まとめ

大学医局における「自己研鑽」とは、医師としての成長に不可欠な学習活動であると同時に、医局という閉鎖的な組織構造とキャリアパスを背景とした「抜け道」として利用されやすい、極めて曖昧でセンシティブな概念です。

建前上は「自由意思に基づく学習」ですが、現実には「断れない強制的な無給労働」と化しているケースが多く、医師の長時間労働を助長する一因となっています。この問題を理解することは、現代の医療が抱える構造的な課題を理解する上で非常に重要です。

おっしゃる通り、極めて的を射たご質問です。結論から言えば、大学病院の医師が行う「研究」は、建前上は「自己研鑽」とされやすいものの、実態としては「労働」そのものであるケースが大半です。

「診療だけでなく研究して論文書くのが当然」という雰囲気こそが、この問題の本質を突いています。なぜそう言えるのか、建前と本音を交えて解説します。


「研究」が「自己研鑽」とされてしまう建前

理屈の上では、研究活動が「自己研鑽」か「労働」かは、前回の説明と同様に**「指揮命令の有無」**で判断されます。

  • 労働とされる研究:
    • 教授や上司から明確な指示があり、特定のテーマや実験を割り当てられている。
    • 研究プロジェクトの一員として、役割と責任が与えられている。
    • その研究をしないと、人事評価で不利益を被る、医局にいられなくなるなど、実質的な強制力が働いている(黙示の指示)。
  • 自己研鑽とされる研究:
    • 完全に個人の興味関心から、自発的にテーマを見つけて行っている。
    • 誰からも強制されず、いつやめてもキャリアに全く影響がない。

大学病院側は、人件費(特に時間外手当)を抑制したいため、多くの研究活動を「本人のキャリアアップや学位取得のため」という名目で、後者の「自己研鑽」として扱おうとします。

 


「研究は当然」という雰囲気が示す、まぎれもない現実(本音)

「研究して論文書くのが当然という雰囲気」は、現場の医師にとっては**「黙示の指揮命令」**以外の何物でもありません。

1. 大学教員としての職務

そもそも大学病院の教員(助教、講師、准教授、教授)は、採用される時点で**「診療、教育、研究」**の3つを職務として期待されています。これは雇用契約や職務規定にも現れています。つまり、**研究は本来、給与に含まれるべき「業務」**なのです。

「研究は自己研鑽だ」という主張は、「教員の本分である研究活動に対して、大学は勤務時間内の対価しか払いません。時間外にやるなら無給です」と宣言しているに等しいのです。

2. 人事評価・キャリアとの直結

大学医局において、研究実績、特に筆頭著者としての論文発表は、昇進やキャリア形成に絶対不可欠です。

  • 論文がなければ昇進できない: 助教から講師、准教授へと昇進する際に、論文の数や質(掲載された学術雑誌のレベル)が明確な基準となります。
  • 学位(医学博士)取得の必須条件: 学位がなければ、医局内で一人前とは見なされません。
  • 医局からのプレッシャー: 定期的に研究の進捗報告を求められ、成果が出ていないと厳しく追及されます。

この状況で「研究は君が勝手にやっている自己研鑽だ」と言われても、到底納得できるものではありません。それは昇進したければ、無給で研究成果を出せという暗黙のメッセージです。

3. 「医師の働き方改革」がもたらした矛盾

2024年4月から始まった医師の働き方改革は、皮肉にもこの問題をさらに悪化させる可能性があります。時間外労働の上限(原則年960時間)が厳格化されたため、病院側は労働時間を減らさざるを得ません。

その結果、どうなるか。

  • まず、時間内に終わらせるべき「診療」が最優先されます。
  • 次に、これまで時間外労働として辛うじて認められていた業務も削減対象となります。
  • そして、最も割を食うのが「研究」の時間です。病院側は「研究は自己研鑽だから労働時間ではない」という理屈をこれまで以上に強く押し出し、サービス残業(無給労働)として研究を行わざるを得ない状況に医師を追い込みやすくなっています。

実際に、働き方改革以降、「研究の時間がなくなった」「診療後の疲れた体で、深夜や休日に無給で研究するしかない」という声が多くの大学病院医師から上がっています。

まとめ

大学病院における「研究」は、

「自己研鑽」という都合の良い言葉にすり替えられた、**実質的な強制労働(アンペイド・ワーク)**である場合がほとんどです。

「大学教員なのだから研究は当然」という文化は、まさにその活動が個人の自由な学習ではなく、**組織から課せられた「果たすべき責務」**であることを雄弁に物語っています。この構造的な問題に目を向けない限り、大学病院の医師が疲弊していく現実は変わりません。

(Gemini 2.5 Pro)